花邑の帯あそび

1本の帯を通して素敵な出会いがありますように…

「鬼」の文様について

2014-01-23 | 文様について

presented by hanamura ginza


大寒を迎え、しんしんしんと冷え込む日が続いています。
北国では、大雪が降り積もっているところも多いようで、
自然災害がないように祈るばかりです。

それでも、大寒が過ぎれば立春ということで、
明るい色合いの着物や帯、小物などに目が行くようになり、
気持ちは少しずつ春を迎える準備に向かっています。

立春といえば節分ですね。
家の扉や窓を開けて風を通し、
「鬼は外! 福は内!」の掛け声とともに
豆を外にパラパラと打ちまくと、
寒さで縮こまっていた身体や気持ちまで、
きりりとするように感じられます。

さて、この「福は内、鬼は外」ですが、
地方や寺社によっては「鬼」を祀っている場合もあり、
その際には「福は内、鬼は内」と言うようです。

このエピソードでも分かるように、
日本人にとって、鬼は単純に「悪いもの」という捉え方だけではなく、
場合によっては「良いもの」ともされ、
古来より物語や伝統芸能、絵画などにも頻繁に登場し、
日本の文化に深く携わってきました。

今日は、この「鬼」の文様についてお話ししましょう。

鬼(おに)という言葉が、
はじめて用いられたのはいつの時代かは定かではありません。
しかし、奈良時代に編纂された「日本書紀」や「古事記」には
すでに「おに」という記載が見受けられることから、
この時代には「おに」という概念があったのだとされています。

また、この時代には建物の安泰を祈り、
悪霊がこないようにと、
鬼の面を彫った鬼瓦が屋根の端に取り付けられました。

鬼の語源は「隠(おぬ)」ともいわれ、
姿のみえない異界のもの、人の力を超えたものを指す言葉として用いられ、
のちに「怖いもの」や「強いもの」「ものすごい」
という広い意味合いを持つようになっていったようです。

鬼が物語のなかに登場するようになったのは、
平安時代のころです。
「伊勢物語」や「今昔物語」には、鬼の話が多く記載されていて、
その中には真っ赤な顔、一つ目、2メートル以上の背丈、
振り乱れた髪といった鬼の特徴があらわされたりもしています。

また、現代でもみられるような鬼の姿、
つまり、頭に牛の角を生やし、
虎の皮のパンツをはいているといった容姿も
この時代に考えられました。
この牛と虎の様相も盛り込まれた姿は、
当時、丑(牛)の方角と寅の方角が
鬼門とされていたことに由来するそうです。

室町時代になると、
「百鬼夜行絵巻」や「不動利益縁起」などの絵画に、
鬼は多くあらわされるようになりました。
また、京の大江山に棲む酒呑童子(しゅてんどうじ)という鬼退治の話や
桃太郎の鬼退治などの話も書かれ、
能でも鬼となった女の話がつくられました。

やがて、江戸時代になると、
鬼は畏怖する対象としてだけではなく、
絵画や物語の中では、ときに親しみやすい人間味のある存在としても
あらわされるようになっていきました。
当時流行した「大津絵」という風刺画でも、
鬼はモチーフとして多く描かれ、
どこかユーモラスな姿をした鬼の絵が
とくに人気となりました。



上の写真の名古屋帯は、昭和初期ごろにつくられた緞子織の絹布からお仕立てしたものです。
遊び心の感じられる意匠がユーモラスなのに反し
緞子織ならではの艶に重厚感が感じられ、
洒脱な雰囲気を醸しています。
こちらにあらわされた鬼の絵図は、
「大津絵」の中でもとくに人気のあった「鬼の寒念佛」をモチーフにしたものです。
僧衣を着ている鬼の絵は、
偽善者をあらわしたものとされ、
衣装や小道具で飾っても本当の姿は透けて見えるという意味合いがあるようです。



また、鬼の角は人々の我欲を表現していて、
この絵に描かれた角が折れた鬼の姿は、
それを折る事を教えているとも言われています。
鬼の住処(すみか)は人の心のなかにあり、
鬼というものを通して、私たち人間を省みるという意味合いがあるのでしょう。


上の写真の「大津絵の絵図 緞子 名古屋帯 」は花邑 銀座店でご紹介中の商品です。

●花邑 銀座店のブログ、「花邑の帯あそび」次回の更新は 2 月 6 日(木)予定です。
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