花邑の帯あそび

1本の帯を通して素敵な出会いがありますように…

「絵馬文様」について

2013-12-12 | 文様について

presented by hanamura ginza


大雪(たいせつ)を迎え、空気が一層ひんやりと冷たくなってきました。
日が暮れるのも早く、
師走という文字通りに
道行く人々も急ぎ足になっているように思えます。

明日の 12 月 13 日は、
江戸時代のころ「正月事始め」として
江戸城の煤(すす)払いを行う日と定められていました。
当時は庶民もこれに習い、同じように家の煤払いをしたようです。

煤払いは、本年の厄を払うとされ、
お正月に年神様を迎え入れるために欠かせない行事でした。
この煤払いがのちに大掃除となったようですが、
現代では、もっと年の瀬に行うのが一般的ですね。

それでも、社寺では江戸時代の頃のように、
この時期に煤払いをするところが多いようです。
社寺では、煤払いが終わると、
しめ縄や来年の干支が描かれた大絵馬などが飾られ、
お正月を迎える準備が早々に進められます。

この時期から社寺に飾られる大絵馬は、
たいへん大きなものですが、
通常は「絵馬」と聞くと、
手のひらサイズの木の板に
「学業成就」や「開運招福」などの
願い事の書かれているものが思い浮かびますね。
受験の際などに、合格祈願と書いた人も多いのではないでしょうか。

絵馬は、その名前のように、
来年の干支である「午(うま)」にとても縁が深いものです。
今回は、その絵馬の文様についてお話ししましょう。

馬は、現在でも競馬や乗馬などで
見る機会も多いため、
親しみやすい動物ですね。

機械技術が発達した現代では
日常生活の中で馬を必要とすることはありませんが、
古代の日本では、
農作業や移動のときなどに使われていました。

また、神の乗り物とも考えられ、
「神馬(しんめ)」と呼ばれ、
神社などには生きた馬が奉納されていました。

しかし、生きた馬を奉納することは、
奉納する側にとっては大切な助っ人を失うことになり、
奉納される神社にとっては、飼育がたいへんになってしまうということで、
負担が大きかったようです。

そのため、平安時代になると、
生きた馬の変わりに木や土で作られた馬の人形が作られて、
奉納されるようになっていきました。
さらに時代を経ると略式化され、
木板に馬の絵を描いたものが作られるようになり、
これがのちに絵馬とよばれるようになります。

室町時代には、絵馬には馬だけではなく、
武者絵や観音菩薩などのさまざまなモチーフが描かれるようになっていきます。

戦国時代には、武士たちが自らの力を誇示するために
絵馬の出来を競うようになりました。
当時活躍した狩野派や長谷川派などの絵師たちに絵を描かせ、
それらを展示する絵馬堂も建てられました。
当時の絵馬堂は、さまざまな絵師の作品が並び、
現代の美術館のようだったそうです。

やがて、江戸時代になると
現代のように庶民も小さな絵馬を作り、
そこに願いごとを書くようになりました。
干支が描かれたもの、駄洒落が描かかれたものなど、
さまざまな絵馬が作られたようです。

当時の絵馬は、現在でも各地の社寺にある絵馬堂などで眺めることができます。
絵馬に描かれた意匠の面白さはもちろんのこと、
昔の人々が絵馬に託した願いを読むのも面白く、
遠い昔の人々が身近に思えてきます。



上の写真は
昭和初期ごろにつくられた絹布からお仕立て替えした名古屋帯です。
十二支があらわされた絵馬が全体に散らされた小粋な意匠が目を引きます。
さらりと筆で描いたようなタッチであらわされた
動物たちの愛嬌のある表情は、
眺めているだけでも明るく楽しい気持ちになってきますね。

なにかと急がしい時期ですが、
縁起の良い絵馬を身にまとって、
年末年始を元気に過ごしたいですね。


上の写真の「絵馬に干支文様 型染め 名古屋帯 」は花邑 銀座店でご紹介中の商品です。

●花邑 銀座店のブログ、「花邑の帯あそび」次回の更新は 12 月 26 日(木)予定です。
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