花邑の帯あそび

1本の帯を通して素敵な出会いがありますように…

「葡萄文様」について

2011-08-24 | 文様について

presented by hanamura


お盆が過ぎて、暑さも一段落したようで、
秋の訪れを思わせるような
涼しい日が多くなりました。

八百屋さんやスーパーなどに並べられている果物も、
西瓜やメロンといった夏の味覚から、
葡萄や梨のような秋の味覚へと衣替えされ、
季節の移ろいを感じさせてくれます。
秋は、さまざまな果物や穀物が収穫を迎える季節ですね。

そこで今日は、豊かな実りをあらわす「葡萄文様」について
お話ししましょう。

葡萄は世界各地で栽培されている果物で、
その品種は 10,000 種以上もあります。
葡萄の歴史はたいへん古く、
紀元前 4,000~3,000 年も昔から栽培がされていました。

葡萄からつくられるワインも同様に歴史が古く、
紀元前 4,000 年のメソポタミア遺跡では、
ワインを入れる壺の封印が発掘されています。

葡萄の発祥地は、
現在のロシアのカフカース地方から地中海沿岸といわれ、
そこから古代エジプトや古代ギリシャに伝えられたようです。

古代エジプトや古代ギリシャにおいて、
葡萄は豊饒と祝祭を意味し、聖なる果物とされました。

古代エジプトの壁画には、葡萄が栽培されている様子が描かれ、
古代ギリシャの壁画にも、葡萄の蔦を唐草のように意匠化した葡萄唐草文様が見られます。
そのいずれも神殿などにあらわされ、聖なる果物の文様とされていたようです。

紀元前4世紀には、
古代ギリシャのアレクサンドロス大王の東方遠征により、
ヘレニズム文化が古代ペルシャにもたらされ、
やがて、葡萄唐草文様は仏教美術と結びつき、
1 世紀~5 世紀にはガンダーラの仏教彫刻に
その文様があらわされるようになります。

その後、仏教が中国に伝えられると、
仏教美術とともに、葡萄唐草文様も中国にもたらされ、
5 世紀末には葡萄唐草が刻まれた仏像がつくられるようになりました。

中国では、実を多く付ける葡萄が
子孫繁栄を象徴する吉祥文様とされました。
ちなみに「葡萄」という名前は、
古代ペルシャで葡萄が「ブーダウ」とよばれていたことに由来しています。
中国語でも漢字で「葡萄」と書かれ、発音も日本語とほぼ同じです。

日本に葡萄文様が伝えられたのは奈良時代の頃です。
当時、中国では鏡の装飾に葡萄唐草文様が多く用いられ、
奈良の正倉院にもそうした鏡が残されています。

西方からもたらされた葡萄唐草文様は、
異国の文様として珍重され、
日本の仏教美術においても豊饒をあらわす吉祥文様とされました。
しかし、平安時代になると、
国風文化が盛んになり、
葡萄文様は、見られなくなりましたが、
一方で、この頃に葡萄自体の栽培が、
甲州地方ではじめられました。

葡萄の文様が再び見られるようになったのは
室町時代の頃です。
室町時代から江戸時代にかけてつくられた、
蒔絵や陶磁器、能装束などには葡萄唐草文様のほかに、
葡萄とリスを組み合わせた葡萄栗鼠(ぶどうりす)文様があらわされるようになりました。
この葡萄栗鼠文様は、
日本独自の文様として西欧で人気が高く、
南蛮貿易の品にも多くあらわされました。

やがて、明治時代の文明開化とともに、
西欧の文化が広められると、
葡萄文様は異国をあらわす「フルーツ」の文様として
着物や帯などに意匠化され、人気を博すようになりました。



上の写真の袋帯は、焼箔により
葡萄唐草を織り出したしたものです。
銀糸を焼くことで錆びた色となる焼箔であらわされた葡萄唐草文様は、
古の昔に遠い異国からシルクロードを経てもたらされた
葡萄唐草文様の深遠なロマンと瀟洒な趣きを現在に伝えているようです。

花邑 銀座店では、9月1日から「更紗の帯展」を開催します。
こちらも悠久のロマンが感じられるお品が数多く取り揃えております。
秋冬のお着物も多数ご紹介いたしますので、
お時間がありましたら、ご覧ください。

※写真は花邑 銀座店にてご紹介している袋帯です。

花邑のブログ、「花邑の帯あそび」次回の更新は8月31日(水)予定です。

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