花邑の帯あそび

1本の帯を通して素敵な出会いがありますように…

「琉球絣の文様」について

2012-04-12 | 文様について

presented by hanamura ginza


4月も、まもなく半ば、
ここ東京では桜が満開となり、
風に吹かれた桜の花びらがはらりはらりと散っています。

桜の木に止まった小鳥も、
こころなしか嬉しそうに鳴いているように感じられます。

厳しかった寒さもようやく終わり、
南風そよぐ中、外を散策するのが楽しい季節となりました。

南風といえば、日本の中でも南に位置する沖縄では、
2月半ばにはすでに桜が散り、
まもなくすると、海水浴のシーズンになるようです。
季節の変わり目の時には、
縦に長い日本列島で、
それぞれの地域の気候や風土の違いを
あらためて感じることがあります。

今日は、その沖縄でつくられている
琉球絣の文様についてお話ししましょう。

絣とは、部分的に染め抜いた絣糸とよばれる織糸を用いて
その染め抜かれた部分で、
文様を織り出した織物そのものやその織物の文様を
絣とよびます。

絣の製織技術は、1~8 世紀頃にインドで誕生し、
その後タイやインドネシアなどの東南アジアを経て、
14 世紀~ 15 世紀に沖縄に伝えられました。

当時の沖縄は、琉球王国として発展し、
海外との貿易が盛んに行われていました。
沖縄に伝えられた絣も、そうした貿易の中でもたらされ、
南方系の幾何学的な文様と、
沖縄の文化が融合した沖縄独自の絣を生み出し、
それが琉球絣とよばれました。

琉球王朝では、絣の文様を階級によって分け、
王侯貴族が用いた絣文様を「御殿(うどん)柄」、
士族が用いた絣の柄を「城(ぐすく)柄」と呼びました。
御殿柄と城柄は総称して「首里柄」と呼ばれ、
当時の庶民はなかなか着用できないものでした。
身分によって絣の大きさも異なり、
大柄のものは主に士族が身につけ、
小柄の絣は庶民のものに用いられました。

また、当時の琉球絣のほとんどは、
琉球王朝への献上布となっていたため、
厳しい品質検査と柄の統制がありました。

琉球絣の文様は、当時つくられた「御絵図帳」という見本帳に
600種類にものぼる柄が収録されています。
御絵図帳は、現代にも残されていて、
現在つくられている琉球絣においても
御絵図帳に収録されている柄を参考につくられるものが多くあります。

琉球絣の文様は、
沖縄の日常生活の道具や器具、
自然の風物や動植物を図案化したものが多いのですが、
そういったものの中には、
古代から沖縄に伝わる神話に登場するものも、
少なくありません。

例えば、「井」という字に似た井戸の枠(カー・ヌー・チィカー)文様も、そのひとつです。
井戸の枠文様とは、その名前のように井戸をモチーフにした文様です。

沖縄には大きな川が少なく、
雨などの水源もすぐに海に流れ込んでしまうことから、
水不足となる場合が多く、
現在でも給水タンクを備え付けている家が多く在ります。
こういった水不足は琉球王国だった当時も深刻な問題でした。
各村々には井戸が掘られ、
人々はその井戸を生活の基本となる神聖な場所として、
信仰の対象としていました。

井戸の枠文様は、そうした信仰の影響のもと
つくり出された文様なのでしょう。

また、鳥文様(トゥイグワー)の鳥は、
神の使いとされていましたし、
雲文様の雲は、神さまを運ぶ乗り物とされていたことなどがあり、
このように琉球絣の文様は
やはり沖縄の習俗の中で
崇高なものとされてきたものが多く見受けられます。



上の写真の名古屋帯は、鳥文様(トゥイグワー)が織り出された琉球絣から
お仕立て替えしたものです。
格子柄に鳥文様(トゥイグワー)がかわいらしいですね。

下の写真は、沖縄の南風原でつくられた、
花織(ハナウィ)とよばれる織物ですが、
こちらは琉球絣と同じ紬地に
琉球絣独特の幾何学的な花の文様が織り出されています。



どちらの織物も、沖縄ならではの
のんびりとした時の流れと、
南国のあたたかな風が感じられます。

南風の中、こうした琉球絣を身につけ、
街を散策したいですね。


上の写真の「格子に鳥と花文 琉球絣 名古屋帯 」は花邑銀座店でご紹介している商品です。
※「南風原花織」は4月13日(金)に花邑銀座店でご紹介予定の商品です。


花邑のブログ、「花邑の帯あそび」次回の更新は4月19日(木)予定です。

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