花邑の帯あそび

1本の帯を通して素敵な出会いがありますように…

「アイヌ文様」について

2012-02-01 | 文様について

presented by hanamura ginza



北風が冷たく、顔が凍てつくような寒い日がつづいています。
日陰には、先週降った雪がまだ溶けずに
白い塊で残っています。

北海道や北陸では、大雪が降り、
3 メートル以上も雪が積もっているところも多いようです。
記録的な雪の量は連日ニュースにもなり、
辺り一面真っ白な雪の中で、
雪かきをしている人々の姿を映しだしています。

眺めているだけだと美しい雪も、
そこに住む人々にとっては、
昔も今も変わらないたいへんな自然の猛威なのですね。

その一方で、雪は春になると豊富な水源となり、
豊かな自然を育みます。
北国の人々は雪と共存しながら、
長い冬を過ごしてきたのでしょう。

その北国のなかでも最北の地域で生まれた文様が、
今日お話しする「アイヌ文様」です。

アイヌ文様とは、その名前のように、
主に北海道、樺太、千島に住むアイヌ民族が用いる文様で、
北海道の文化遺産ともなっています。

曲線や直線でうねるようにつづく迷路のように描かれた幾何学的文様は、
生命の連鎖と力強さが感じられ、
いわゆる日本的な伝統文様とは趣きの異なった美しさがあります。

アイヌの人々は、特定の神をもちません。
自分たちに恵みをもたらす自然界すべてのものを
「カムイ(神さま)」とよび、崇めてきました。
アイヌ文様にあらわされる文様は、
自然の姿を文様化したものとされています。

また、アイヌ民族は、文字をもたない民族です。
そのため、「ユーカラ」とよばれる神話や伝説、遺跡などから、
その歴史が探られてきましたが、
その歴史については、まだまだ分からないことも多いようです。

アイヌ文様もアイヌ民族の歴史と同じように、
いつごろにつくられたものか、
起源はどこにあるのかという点について
はっきりと分かっていないのです。

文献には、400年以上も前にアイヌ文様が施された衣装について
記されているようですが、
実際に残っているものとしては、江戸時代後期のものが最古になります。

しかし、遠い昔からアイヌ文様はアイヌの人々によって伝えられ、
親から子供へと先祖代々受け継がれてきたようです。

アイヌ文様には男の文様と女の文様があります。
男の文様は「イエヌ」とよばれ、
男の子は父や祖父から彫刻を習い、
木工品や刀のさや、骨にその文様をあらわしました。
文様の緻密さは、持ち主の技量をも示すものでした。

一方、女の文様は「イカルカル」とよばれ、
女の子は母親や祖母から刺繍を習って、
衣服や敷物などにその文様をあらわしました。

文様には魔除けの意味が込められ、
衣服では、衿、袖口、裾、背中などの
口が開いていたり、無防備なところにあらわされます。
そのため、女性たちは一針一針に願いを込め、
ていねいに文様をあらわします。

文様は持ち主の分身や守護霊とも考えられていました。
文様のひとつひとつには意味合いがあり、
例えば、「モレウ」とよばれる渦巻き文様は、
神の目が人の目の届かないところを守っているという意味があり、
背中や胸につけられることが多いようです。

また「アイウシ」とよばれる括弧のかたちが向かい合って連続する文様は、
植物の棘をあらわし、災いが入ってこないようにとの意味合いがあります。

アイヌ文様の大きな特徴ともいえる躍動感のある文様からは、
北国の自然がもつ野太い生命力が感じられます。

こうしたアイヌ文様は、
着物や帯の意匠にも取り入れられています。



上の写真の名古屋帯は、
昭和初期につくられた木綿布からお仕立てしたものです。
こちらはもともと羽織だったものですが、
型染めであらわされた幾何学的な文様は、
アイヌ文様を思わせますね。
柿渋色と生成り色といったシンプルな色合いが、
文様の美しさを際立てています。

現代でもモダンで、斬新に感じられる意匠ですね。
きっと、この綿布の製作者も、
アイヌ文様の美しさに魅入られていたのでしょう。

上の写真の「柿渋色地 幾何学文 型染め 名古屋帯」は花邑銀座店でご紹介している商品です。

花邑のブログ、「花邑の帯あそび」次回の更新は2月9日(木)予定です。

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