花邑の帯あそび

1本の帯を通して素敵な出会いがありますように…

「浅葱色(あさぎいろ)」について

2013-06-27 | 和の伝統色について

presented by hanamura ginza


梅雨本番ともいえるような雨の日が続いています。
1 年でもっとも日が長い時期なのですが、
陽が差すことも少なく、青空が恋しい今日この頃です。

青空といえば、これからの季節の装いでは、
藍染めの浴衣や、宮古上布などの麻着物など、
「青」を基調とした色合いのものが多くなりますね。

また、帯揚げや帯留め、帯締めなどの小物に
青色系統のお色目を用いるだけでも、
たいへん涼やかに感じられて、
季節感が演出できます。

日本には、古来より藍染めによりあらわされてきた
独自の「青色」があり、
この「青色」は、海外の方から「ジャパンブルー」とも呼ばれてきました。

藍染めの歴史はたいへん古く、
紀元前のエジプトや、印度、ペルシャ、中国など、
世界各地の遺跡から、
藍を染料とした織布が発掘されています。

日本においては、飛鳥時代には藍の染料となる
植物が栽培がされていたようです。

藍染めの材料となる植物は世界中で数多く自生し、
数多くの種類のものが日本へも伝えられ、
そのなかから日本の風土に適し、
大量に採取できるものが選ばれ、栽培されました。

日本だけでも、徳島でつくられるタデ科の藍の葉を発酵させた「すくも藍」、
沖縄でつくられるキツネノマゴ科の藍の葉を水中発酵させた「泥藍」、
印度産のマメ科の藍の葉を水中発酵させ、
乾燥させた「印度藍」などの種類があります。

藍染めでは、その濃度や染め方により
藍色系統のさまざまな色をあらわすことができますが、
そういった色のひとつひとつには
それぞれ名前が付けられています。

今日は、そのなかのひとつ、
浅葱色(あさぎいろ)についてお話ししましょう。

浅葱色とは、葱の葉の色のように若干緑色がかった水色のことを指します。
コバルトブルーにも似た爽やかで透明感の感じられる色合いは、
現代でも人気の高い色のひとつです。

しかしながら昔は、藍色や花田色に比べ
染める手間が少ないとされ、
あまり良い印象ではなかったようです。

平安時代には、この浅葱色が位の中では身分が低い
六位の官服の色として指定されました。
「源氏物語」では、光源氏の息子の夕霧が官位を授かりますが、
祖母大宮が夕霧に会った際に官服が浅葱色だったので、
光源氏に抗議するという場面があらわされています。
光源氏は、夕霧が自らの力で位を上がるように六位にした
という説明をするのですが、
このエピソードは当時の人々が浅葱色にもっていた印象が
とても良くあらわされていると思います。

また浅葱色は、江戸時代に新撰組が着用していた
羽織の色としても有名です。
しかし、江戸時代にも浅葱色は「野暮な色、田舎侍の色」として、
好まれなかったようなので、
実際には浅葱色だけではなく、
黒色の羽織などさまざまな色のものを着用していたようです。

それでも、当時の武士は、切腹時に浅葱色の裃を着用したので、
浅葱色の羽織に、いつでも死に向かうという覚悟で挑んだという
新撰組の気概をあらわして、
伝えたのではないかとされています。

この浅葱色が人気となったのは、
大正時代のころです。
当時、西洋からもたらされた合成染料で染め上げられた鮮やかな浅葱色が、
東京の新橋の芸者たちの間で好まれ、
ハイカラな色として広がり、人気となりました。



上の写真の名古屋帯は、大正時代頃につくられた絽縮緬からお仕立て替えしたものです。
観世水文が織り出された美しい浅葱色の地を引き立てるように、
白色で波立湧がすっと描かれた意匠からは、
涼やかな艶が感じられます。

この浅葱色には浅葱色より淡い水浅葱色(みずあさぎいろ)、
鼠色がかった錆浅葱色(さびあさぎいろ)、
浅葱色より濃い花浅葱色(はなあさぎいろ)がありますが、
現代では、少しひかえめな色合いがかえって好まれ、
どの色も人気があります。

古来、浅葱色には「あっさりとした」という意味合いが含まれていたようで、
蒸し暑いこれからの季節にはなおのこと、浅葱色が映えそうです。

※上の写真の名古屋帯は 6 月 28 日に花邑 銀座店でご紹介予定の商品です。

●花邑 銀座店のブログ、「花邑の帯あそび」次回の更新は 7 月 5 日(木)
予定です。
帯のアトリエ 花邑-hanamura- 銀座店ホームページへ
   ↓


最新の画像もっと見る

コメントを投稿