OBERON 日記

1999年1月25日。パソコン通信から始まった公開日記。
できれば、死ぬまで続けたい・・・(爆)。

で? 君はどうするんだ?

2009-10-17 15:55:50 | Weblog
昨日、「ニュース雑記帳」で、里親が預かっていた子どもを虐待したニュースを取り上げた際に、思い出したんですが・・・少し前に、裕太と子どもの虐待について、やたら憤慨しながら話していたとき、裕太に言われたんですよね・・・「じゃあ、お母さんが、そんな環境にある子どもたちを、たとえ一人でも二人でも、助けてあげればいいのに」って。

そしたら、わたし、情けないことに思わず口ごもっちゃって・・・「ただ、お母さん、他の子どもたちを、藍那や裕太と同じように愛する自信がないんだよね・・・それに、家に引き取って育てるとしたら、お母さんの気持ちだけでは決められないことだしさぁ・・・やっぱり、血の汚さってあるのかもしれないしねぇ」って、必死に弁解しちゃったんですよね。

すると、裕太はあっさり「そうやね」って引いてくれましたけど・・・わたし、内心、裕太に失望されたんじゃないかと、おどおどしちゃいました(^^;。

基本姿勢としては、わたし、藍那や裕太には、あまり人生論的なことは熱く語らないように、心がけていたんですよ。今の彼らはもう大人なので心配はいりませんが、子どものころって、親の影響が尋常じゃなく大きいでしょ。だから「こう生きなさい」と強要するに等しいような言葉や、「これが正解だ」って価値観を押し付けるよう言葉は、なるべく避けるようにして、親以外の、たとえば先生だとか、先輩だとか、友達などから、多種多様な影響を貰って、自分で考えるようにしてもらおうと思ってたんです。それが実際に出来ていたかどうかは、はなはだ疑問ではあるんですが、一応、そう心がけてはいたんですね。

だから、わたしがいつも人様に投げかけている「で? 君はどうするんだ?」というようなこと・・・つまり「批判するより、その問題に関して、自分には何が出来るのかを考えましょうよ」っていうようなことは、言葉にして裕太に言ったことはなかったと思うんですが・・・にもかかわらず、それを、思いっきり直球で投げこまれたものだから・・・アタフタとしてしまったんです。

そう・・・嘆いたり、悲しんだり、怒ったり、責めたり、そういうことは簡単にできるけれど、じゃあ、そのことに対して、お前は何をするつもりなんだと自分に問うたら・・・出来ることって、あまりにも少ないんですよね。というか、ほとんど出来ることが見当たらない。いや、決心しさえすれば、出来ることはいくらでもあるに違いないのですが・・・なかなか行動に移す覚悟が出来ないばかりに、結局は何も出来なくなってしまうんですよね・・・ふむ。

いつもは、偉そうに人に投げかけている問いを、息子から何気ない言葉で突き返されて・・・自らの、日ごろの傲慢と無力を思い知らされました・・・恥ずかしい。

そうだよね、裕太・・・本気で、子どもたちを心配しているなら、養育里親になることだって考えて当然だよね。でも、決してそこまでは踏み込もうとしないで、ただニュースを見ながら「酷いねぇ~」って憤慨して見せているだけ。しかも、それで自分は善い人の気分になって、安易な自己満足に浸っている・・・ほんと、お母さん、最低だよね。

ただね・・・弁解じゃなく、本当にそうだと思うことなんだけど・・・世の中には、しなくちゃいけないことが沢山あるけど、一人の人に、その全部をすることは不可能なのね。それはもう、絶対に不可能なのね。じゃあ、自分は、何を選んで、どう行動するか、それについても、人はそれぞれに、考えて決めなきゃいけないと思うのね。

だから・・・自分自身の生き方として、自分をどうしてやるかに深く悩み迷うように、この世界の一員として、どの分野のどの問題に責任をもって関わるのかについても、人ってやっぱり、深く悩み迷うものなのよ。

とはいっても、わたしなんぞは、もうほんといい年になっちゃっているわけだから、そろそろ迷う時期も終わってなくちゃいけないとは思うんだけど・・・まだ、わたしは、自分をどうしてやったらいいかも分からないでいるし・・・自分が果たすべき役割についても見定められないでいるのね。

そうね、そう・・・情けない限りだよね・・・もう、あまり残された時間もないというのに・・・ほんと、そろそろ覚悟決めなきゃ、どうしようもないよね。でも、どうすればいいか・・・ほんとに分からないのよ。ごめん、もう少し、もう少しだけ、悩ませてくれないかな。申し訳ないと思うんだけど・・・どうか、勘弁してやってください、ほんと。