OBERON 日記

1999年1月25日。パソコン通信から始まった公開日記。
できれば、死ぬまで続けたい・・・(爆)。

つぶやき・・・のはずが、大器晩成の話に(^^;

2009-10-20 12:07:18 | Weblog
関東では、華やかに東京国際映画祭が開催されているようですが・・・わたしは、関西で、今夜はお芝居を見てきますよん(^^)。

というわけで・・・なんとなく、ぼんやり受け身な気分なので、徒然書きより、小ネタ集より、さらに小ぶりに「つぶやき」ってことで、本日はお茶を濁したいと思います。

まず、最初のつぶやき・・・初っ端のつぶやきに相応しく、実にしょうもない話なんですが・・・わたし、今日、はじめて読み方を知った漢字があるのであります。それは「抽斗(ひきだし)」なのであります。あいや~、お恥ずかしい。でも、そっか・・・そうだね・・・って感じです(^^;。けっこう読書歴もあるはずなので、読むだけなら、わりと漢字は知っている方だと思ってたんですが・・・まだまだ、こういうケースは、出てきそうですね。漢字って奥深いや。

次は・・・ドラマなどで、独身役の人に「わたしは結婚できないのではなく、結婚しないのだ」と言わせる台詞があったりしますが・・・結婚に限らず「出来るか出来ないか」と「するかしないか」は、大いに異なることなんですよね。ただ・・医療分野とか、軍事分野とか、宇宙開発分野などの、科学的技術の発達などの話を漏れ聞く際には、いつも「出来るけれど、あえてしない」ということは、とっても難しいのだろうなと・・・そう思うのであります。特に、科学者の人とすれば、百歩譲って「すでに出来ると判明していること」をしないで我慢することは出来ても、「出来るか出来ないか分からない微妙なところ」に挑戦するのを我慢するのは、とっても難しいのだろうなと。けど・・・結局のところ、人類を滅ぼすのは、人間のそういう部分なのかもしれませんね。つまり、人類の最も素晴らしい部分が、人類の一番のウィークポイントになるんでしょうね。でも、まっ、それならそれで・・・ある意味、生き物としては本望な結末なのかもしれませんけどね。だって、どこからかやってきた宇宙人に滅ぼされるよりは、自らが突っ走るだけ突っ走った結末として、バタリと地に倒れるって方が本懐ってものでしょ(^^;。

そうそう・・・大器晩成って言葉、わたし好きなんです。っていうか、それにスガって生きているといっても過言ではないくらいです。だって、人生の「晩」も近いというのに、まだ何も「成」していませんからね、わたし(^^;。しかも、うちの子たちも、なんというか・・・ゆっくり成長するタイプのようなんです。藍那の場合は、一見、目端が利きそうなタイプに見えるんですが、実はとても不器用で、自分自身のことに関しては、ついつい遠回りしてしまう傾向がありますし、裕太にいたっては、まんま「ゆっくり成長」しています(^^;。だから・・・若い頃から道が見えていて、常に立派な成果をあげ続けていなくても、自分のリズムで生きていけば、何かしら自分らしい実りは収穫できると・・・そういう意味での、つまり大器の部分ではなく、主に晩成って方に着目して、大器晩成という言葉に望みをかけているのであります、はい。

でもね・・・実際、タレントさんなどを見ていると分かりやすいと思うんですが、早熟タイプの人と、晩成タイプの人って、たしかにいらっしゃるでしょ。人気のピークというような意味じゃないですよ、その方の魅力の部分で、早熟な方と、晩成な方、いらっしゃいますよね。つまり「若い頃はあれほどまでに素敵に輝いていらしたのに・・・」と思うタレントさんと、「年を取るごとに素敵になられる・・・お若い頃には、まさか、こんな風になられるとは思わなかった」って思うタレントさん、いらっしゃいますよね。ほんと、両者の異なりって、いったい何なんでしょうね。でも、まっ、どっちにしろ、一時でも、ものすごく輝いた時期があるって素晴らしいことだとは思いますけどね。

そうそう・・・何かで、人生が人の顔に現れるのは五十を過ぎてからって説を聞きました。生き方の差が如実に顔に現れるのは晩年になってからだから、若い頃は、見てくれで中身を判断するのは難しいものだけど、長い年月をかけて自分の顔を創り上げてきた年配の人の外見は、逆に中身を隠すことが難しいものだって。ということは、若い頃の輝き方と、年をとってからの輝き方って、基本的に質が違うのかもしれませんね。となれば・・・両方で輝ける人もいて不思議はないし・・・両方で輝けない人も出てきちゃうわけですよね。ああ~、怖い怖い・・・大器晩成という言葉に、すがってばかりもいられないのかなって、危機感、感じちゃいましたよぉ~(^^;。