OBERON 日記

1999年1月25日。パソコン通信から始まった公開日記。
できれば、死ぬまで続けたい・・・(爆)。

当たり前のことで仕方がないことではあるけれど・・・

2023-03-10 15:51:08 | Weblog
母の状態が、緩やかに緩やかに変化していく。当然のことながら、良くはならない。ちょっとずつちょっとずつ、悪化していくのだが・・・それでもカクンと変化が目に見えて分かるポイントのようなところがあり・・・一昨日あたりから、新たなカクンが訪れた。

認知能力とともに身体能力も衰えていくのだが、トイレに行ったり、お風呂に入ったりは出来ていた。もちろん上手くできないときもあるし、お風呂でも自分で体を洗ったりは出来ないが、トイレやお風呂に自分で歩いて行けるというのは、介護する側にとっては、ものすごくありがたい。それが、ついに出来なくなったのだ。昨日から、排せつの失敗で汚れたパジャマを何回も洗い、お布団を干し・・・いよいよ体力勝負の段階に突入したなぁ~と思っている。

けれど・・・意外に、それはそんなにキツクナイのだ。もちろん体はキツイ。でも、心は意外にキツクナイのだ。

以前から、排せつの失敗で汚した下着の処理とか、うまく扱えなくて壊したものの処分とか、そういうことにストレスを感じることはなかった。「年なんだから」「そういう病気なんだから」当たり前のことで仕方がないと思えた。じゃあ、何がストレスかというと、圧倒的に"会話"なのだ。意味不明の問いかけ、何と答えても納得しない堂々巡りの愚痴、果ては「自分は役立たずだ」だの「死にたい」だの「誰もが私を嫌っている」だの「天涯孤独な私はなんて不幸なんだろう」だの・・・答えるのが面倒になり黙っていると、さらにエスカレートするからどうしようもない・・・

けれど思うのだ・・・これもまた"「年なんだから」「そういう病気なんだから」当たり前のことで仕方がないこと"なんじゃないのか。同じ"「年なんだから」「そういう病気なんだから」当たり前のことで仕方がない"ことなのに、なぜ身体的なことは受け入れられても、精神的なことは受け入れがたいのだろう・・・

きっと・・・わたしが精神的なことをより重要視しているからかな・・・体の機能が衰えて、たとえ寝たきりになったとしても、母は母のままなんだけど・・・意味不明のことを繰り返し、会話がなりたたない状態の母は、母だとは思いたくない存在なのかもしれない・・・

寝たきりにどんどん近づいていき、身体的な介護の負担がどんどん増えていきそうだけれど・・・その分、聞く者がしんどくなるようなこと、悲しくなるようなことは言わなくなってきている。それすら言えなくなっているということなのだけど・・・正直、ありがたい。ここ数日、体力的には大変なんだけど、意外に心が軽くなっている自分を、不思議な気持ちで見ている私がいる・・・


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