OBERON 日記

1999年1月25日。パソコン通信から始まった公開日記。
できれば、死ぬまで続けたい・・・(爆)。

疑問は人を不幸にする・・・かも

2008-03-01 23:29:27 | Weblog
時々、思い出したように話題になる・・・っていうか、わたしが、思い出したように気にするのかもしれないですが・・・最近も、また、テレビだったか活字でだったか、とにかく何処だったかで出会いました・・・ずいぶん前の討論系のテレビ番組で、ある若者が「どうして人を殺してはいけなのか」と質問したという話に。

この話題が出来る時は、たいてい「とんでもないことだ!」という論調になっている気がします。「そんな当たり前のことを何故と問う人間がいるなんて信じられない」と。「とてもショッキングなこと」扱いになっています。

もちろん、その若者が「人を殺してもいいじゃん!何が悪いのさ!」という意味で言ったのだとしたら、たしかに悲しい発言ではあります。でも、その言葉通り「何故」と問うなら、決してイケナイことではないと、わたしは思うのですが、そう思うワタシも、やっぱり恐ろしい人間でしょうか。

命とは何なのか・・・何故、命は大切だと言われているのか・・・なぜ、命を奪う事はイケナイこととされているのか・・・それを問うことは、わたしにとっては悪いことどころか、とても大事な事、それ以上に必要なことなのですけれど・・・。

わたしの場合、最終的には「命は大切にしたいよね」「命を大切にしていこうね」という方針に賛成しますが、それはあくまでも、自分たちが選択する方針であって、絶対的真理のようなものではないんです。命が大切かどうかは相変わらず分からない、だから命を大切にすべきかどうかもやっぱり分からない、でも「大切にしたい」から大切にするし、「大切にして欲しい」から、自分が所属する集団には「命を大切にする」という方針を選んでもらえるよう努力しますが・・・それは「命は大切なものである」からとは根本的に違うわけです。

なので、わたしは問い続けます。命って何なんだろう・・・命って大切なものなんだろうか・・・って。それは、間違った行為なんでしょうか。

命以外のことでも同じです。命に似たものなら、たとえば「愛」なんかも同様ですし・・・それ以外のものも、みんな同じですけれど・・・当たり前、絶対と言われているものに対して「本当にそうなの?」って問うこと、そして一般的に言われている常識の箍を外して、そのものの正体が何なのかを問うことは・・・わたしにとっては、必要なことです。

ただ・・・何の疑問も感じずに、世の中で正しいとされていることを、素直に正しいと信じている人に対して、何から何まで疑問に感じてみろと強要するのは、その人の為にはならないかもと思っています。疑う事も、時には必要ですが・・・疑わず信じている方が、ずっと幸せなことも沢山あると思います。かくいうワタシも、そういう聖域を、意識していないところで大量にもっているからこそ、なんやかや言いながらも生きていられるのだと思いますし。

だから・・・みんなが正しい思っていること、常識だとされていること、真実だと信じられていることは、むやみやたらと疑わないって姿勢に、反対はしませんが・・・そうじゃない向かい合い方もあると・・・そこには拘っていきたいと思うのです。なんだか・・・剣呑だなとは思いますけどね(^^;。