OBERON 日記

1999年1月25日。パソコン通信から始まった公開日記。
できれば、死ぬまで続けたい・・・(爆)。

言葉って、驚くほど強靭ですね・・・

2008-03-26 20:17:02 | Weblog
うお~、雷だぁ~・・・

ところで・・・言葉を商売にしていると・・・なんていうか・・・その強靭さに驚愕してしまうなぁ~と思う、今日この頃なのでありますよ。

以前からも、比較的、言葉を駆使する生活をしていたと思います。趣味の分野でも、仕事の分野でも、もっと基本的な個人的「生きる」の分野でも、わたしにとって言葉は、大切な仲間でした。少なくとも、わたしの方は、そう思っていました。

つまり、自分の思いや気持ちを伝える為に、あるいは自分自身を表すために、言葉という仲介者の助けをかりていました・・・ずっと。

でも・・・言葉って、わたしが知っている「あらわす」ものであるだけなく、ある時は「隠す」ものだったり、ある時は「飾る」ものだったり、ある時は「破壊」するものだったり・・・さまざまに姿を変えるのだなぁと、最近、やっと知りました。

特に「隠す」言葉・・・これには、ビックリです。でも、言葉を尽くすことによって本質を隠す・・・それを目的にして使われる言葉があるんですよね。それに気づいて周りを見渡してみれば・・・けっこう、みんな、上手に「隠す」言葉を使っているなぁと感心してしまいました。いったい、いつ、習ったの(爆)。

ただね・・・どんな使われ方をしても、言葉は自分を失わないんですよね。どんな使い方をするかは、使う奴の勝手。どんな風に使われようと、言葉は言葉としてのプライドを全く揺るがせない。頑として、そこにある。あり続ける。すごいなぁ~って、思います。

そんな風になれたら・・・どんなにか誇らしく生きていけるんだろうけど・・・まだまだ、使われ方によって自分自身が揺らいでしまうワタシは・・・まったくもって、未熟モノであります(涙)。

ところで・・・全然、話は変わりますが・・・「好き嫌い」は主観的事柄ですが、「評価」ってものは、比較的客観的なものですよね。でも・・・その境界線が、実に曖昧だなって思いませんか?

たとえば・・・タレントさんを見ていて、可愛いとか、カッコイイとか、素敵って思うのは、まるまる主観的ですから、「好き嫌い」の事柄ですよね。でも「歌が上手い」とか「演技派だ」とか「ダンスにキレがある」とかいうのは、好き嫌いとは別のところの客観的な評価のように思うんですが・・・実際は、案外、そうでもなく感じること、ありませんか?

世の中で「抜群の歌唱力」って言われている人、「若手に似合わぬ演技力の持ち主」と広く高く評価されている人、どうもそうとは思えないんだけどなぁ・・・ってことありませんか。それが「好みじゃないから」ではなくって、自分では、かなり客観的に見ているつもりだけど、そう思うってこと。

一番曖昧なのは「キレイ」を、どう扱うかですよね。たとえば、ミスコンで優勝した人というのは、審査員の好き嫌いで選ばれるのではなく、ある程度の客観的評価で選ばれることになっていると思うのですが・・・結果をみれば「どうなのかなぁ~」って場合もありますよね。もちろん、よく言われるように、時代によっても、地域によっても、美の基準は違いますけど・・・それなりの「基準」、つまり客観性がありそうでないのが「キレイ」のような気がしますね。

エッ?それで、どうしたんだって?いや~、若手ナンバーワンの演技力の持ち主と言われている人の映画を見ながら・・・「わたし、一度も上手いと思ったことないんだけど・・・」と思ったものですから(爆)。