OBERON 日記

1999年1月25日。パソコン通信から始まった公開日記。
できれば、死ぬまで続けたい・・・(爆)。

成人という言葉に、どんな意味を含ませたいのですか?

2008-03-09 22:14:29 | Weblog
最近、食欲が凄いです。本来、食は細い方なんですが・・・それが、ここのところ、異常食欲の様相を呈しております。今までなら、それは確実に風邪などで体調を崩す前兆なのですが・・・別段、しんどくなる気配もなく、食欲だけが持続しています。

もし、それでも体重が増加しないなら、できれは維持して欲しいと希望します、この食欲。そうしたら、少しずつ胃が大きくなって、美味しいものがタップリ食べられるようになるかもしれないもの。今までだと、美味しいからと調子に乗って食べると、すぐに気分が悪くなってしまっていたので、人生の楽しみを、すごく損していると感じていたのであります。

なんて考えるようになった自分が、わたしにとっては意外なんですよね、実は。というのも、もとは食が細いどころか、食べるという行為に嫌悪感すら持っていましたからね。ダイエットが高じての拒食症とか、ストレスのせいでとかじゃないんですよ。なんていうか・・・命に対する嫌悪みたいものかな・・・そういうのがあったんです。だから、生理的な欲望全般に、なんとなくではありますが嫌悪感がありました。

なのに、そんなワタシが、食に興味を持つようになったってことが、自分でも意外っていうか・・・成長したなと嬉しく思うわけです。しかも、心だけじゃなく、体も食べる事を進んで受け入れてくれるようになったのだとしたら・・・こんなに嬉しい事はないと、そう思いますね。ほんと、わたしも大人になったもんだ(爆)。

ところで・・・その『大人』なんですが・・・最近、成人の定義を「18歳以上」に引き下げるか、今までどおり「20歳以上」にするか、議論があったようですね。

どうも、20歳のままでいいという人の意見は、過保護な親の考え方みたいで・・・だから、とってもよく分かります。逆に、18歳まで引き下げようという人の意見は、少年犯罪の問題などに引きづられているようで・・・それもよく分かります。

けど・・・実際の、その辺りの年齢の人たちを見ていると、個人差がありすぎて、一概に言えなくなりますよね。わたしなんかより、はるかにシッカリとした考えをもって行動している人もいれば・・・頼りないなぁ~、大丈夫かなぁ~、子どもだなぁ~と思う子もいますからね。でも、まっ、法律となると、個人差なんていってられませんから、どこかで線引きしないと仕方ないんでしょうけど・・・ということは、その法律が何を目的にしているかが判断基準になるってことですよね。

でも、個人として個人に接するときには、この個人差が何より大切だと思うんですよ。たとえば、藍那に対してなら、早くから「大人として扱う」ということは好ましい効果を生む行為だったろうと思います。わたしが、彼女に対して、それが出来ていたかどうかは別にしてね。

でも、裕太に関しては「大人になることを急がせない」方がいいと、わたしは感じています。だから、いつも「自分のペースで生きる」ということに拘って欲しいと伝えています。みんなが高校に入ったら考える事を、高校を卒業する頃になって考え始める彼のペースは、決して「遅い」のではなく「彼なり」だと思うので、決して焦らず無理をせず、「自分なり」で生きる強さをもってほしいと思っています。

でも、じゃあ、藍那を基準にすれば「16歳成人」でもよくって、裕太を基準にすれば「25歳成人」くらいがいい・・・ってことでもない気はするんですよね。ふむ・・・何をもって、成人とするか・・・何を社会が、18歳あるいは20歳に期待するか・・・ふむ。

そういえば・・・元服って、何歳でしたっけ。12歳前後? あれは、それを機に、社会的な何が変わるんでしたっけ。外見の変化だけじゃなく、背負うものが生まれるんですよね、当然。12歳は、それを背負える年齢だったんでしょうかね、その頃は。

平均寿命が、今よりずっと短い頃って、18歳ともなると、もう社会を動かしてますよね・・・それは、どうしてなんでしょうね。人間の精神的成熟に要する時間って、寿命と密接に関係があるんですかね。不思議ですね。となると・・・長く生きるのも考えものですね(爆)。だって、だらだらしてるだけって感じですもの、今の自分を考えると。

ちなみに・・・自分自身の18歳と20歳を比べると、ほとんど違いはないです。22歳まで、ほとんど環境が変わらずに来ていますから・・・その途中で、急激な成長はなかったと思います。じゃぁ、22歳から成長したかと言われると・・・ふむ、わたし就職をしていないので、やっぱり、ほとんど変わっていないです。ただ、24歳で出産して・・・そこからは劇的に変わっていった気がします。そして、29歳で起業して・・・そこからも劇的に変わっていきましたね。そこで、やっと、みなさんの就職の時と同じスタートラインにつけたのかな。だとしたら・・・わたしの成人は、29歳だったかもしれません。裕太のこと、マイペースだなんて言ってられない超マイペースですね。

じゃぁ・・・その、わたしの二度の変化の起点が、わたしの中に何をもたらしたか・・・それ以前にない何を、わたしに与えてくれたか・・・ふむ。

感性とか頭脳とか・・・そういうキラキラした華々しいものは、18歳の頃には、すでに完成していて、それ以降、たいして成長もしていないんですよね。けど・・・なんていうんだろう・・・『待つ』みたいなことかな・・・『見る』そして『待つ』みたいなことが、多少は出来るようになった・・・そういうことじゃないかと、そう思うんですよね。

でも、それを成人の基準にしたら・・・18歳どころか、20歳でも大変ですよね、きっと。少なくても、18歳や20歳の頃のワタシには、絶対に無理でした。自分の内側が研ぎ澄まされていくっていうことに関しては、最高潮の時期だった気がしますが、外側に対する包容力みたいなものは皆無でしたから、当時のワタシは。

ああ~、結局、よく分からないや。「成人」という言葉に、どんな意味を持たせようとしているのか、そこが全く分かってないから、いくら考えても、堂々巡りになっちゃうんだなぁ。と・・・またまた、バターになっちゃうお話になっちゃいました。でもね・・・堂々巡りになっても、何も考えないよりはいいと、そう思うんですよ。それ以上に、安易に答えを出してしまうよりは、ずっとずっといいと思うのですよ。なので「なんのこっちゃ」と、お思いでしょうか・・・どうぞ、勘弁願いたいわけです(^^;。