すんげぇショックです・・・日清食品が、本社を東京へ移すって。関西を去っていく企業・・・今まで、いくつ見送ってきただろうかぁ(涙)。「大阪の企業であるというスタンスはかわらない」って仰っていたけど・・・捨てる恋人に、言葉だけで情けをかけるのは、かえって酷ってもんだぜ(^^;。
ところで・・・最近『クイーン』を見ました。そう、ダイアナさんが亡くなった時の、エリザベス女王の苦悩を描いた映画です。ダイアナファンの多い世の中では、違和感を感じる人も多いかと思いますが、わたし的には自分の気持ちに添った描き方をしてくれている映画でした。
いつも言っているように、ダイアナさんが悪い人だと思っているわけではないですよ。大変な目にあった人だと思っているし、その中で自分なりに頑張った方だと思うし、お綺麗だから人気があっても不思議はないとも思っています。でも、人々をあれほどまでに熱狂させていることにかんしては、正直、理解不能なんですよね。
なので・・・ということでもないのですが、なんとなくエリザベス女王は、お可哀そうだなと思っていて・・・そういう気持ちを消化させてくれる映画でした。
思想的には、わたしは君主制には反対の立場の人間です。特定の家系もですし、特定の個人でもですが、その人たちを特別視する、ましてや神聖な何かを纏わせるようなことは、間違っていると思っています。そういう意味では、映画の中に登場する、女王を批判するブレア首相夫人と考え方は違わないんです。が・・・どうも、エリザベス女王や、昭和天皇を、テレビの中で拝見していると、どうしても憎めない思いがするんですよね。なので、映画の中では、ブレア首相と一番気持ちが寄り添ってしまいました。
それが、チャールズ皇太子になると全く何も感じませんし・・・わが国の今上天皇にも対しても、そんなには思いません。(美智子皇后には、ちょっと感じるかな)
それは、いったいどうしてなのかなぁと考えると、やっぱり彼らの時間に気後れしているのかなと、ふと、そんなことを考えました。映画の中で、就任の挨拶にきたブレア首相に、エリザベス女王が、今まで10人の首相と会ってきた、最初はチャーチルだったと言う台詞があるんですが・・・あの戦争を君主として経験してきた人ですからね・・・その時間の重さに、どこかで圧倒されているのかもしれません。
もともと、戦争未体験コンプレックスがあって・・・戦争を知らないことの幸せが自分の罪であるように感じる部分もあるものだから・・・戦争を体験している人に戦争の話をされると、それだけで恐縮する傾向はあるんですけどね。
お金とか、地位とかでも同じなんですが・・・持ってることを当然と思って、その美味しい部分だけを貪っている人をみると、持っているものを総て奪いたくなる衝動にかられますが・・・持っていることの責任を意識している人には、労いの気持ちが生まれるでしょ。そういうことかなぁ~とも思います。
わが国で言うなら・・・昭和天皇に対して、思うところがある人も多いと思うのですよ。そう、先の戦争に関してね。なぜ彼が、戦争の責任を負わなかったのかということに対してね。そう思うのは当然だし・・・だから、そのことを間違っているなんて、決して言わないですが・・・わたしは個人的に、昭和天皇は戦争の責任を取らせてもらえなかったことが辛かったろうなぁ~と・・・それを背負いながら生きた戦後の何十年という長い時間は、一分一分、一秒一秒が、孤独に罪を背負い続けた時間だったんじゃないかなと思うと、痛ましい人生だったろうなって思うんですよ。いっそ極刑を受けていたらなら、さぞかし楽だったろうに・・・彼の命でしか守れなかったものを守る為に、恥をしのび、失われた命に詫びながら過ごした時間だったんだろうなと。
そういう昭和天皇のことを考えても、ダイアナさんや今の雅子さんのことを考えても・・・だからこそ、やっぱり君主制ってどうなのか・・・とも思いますね。つまり「あいつらばっかり贅沢しやがって、そんなの不公平だから君主制なんて止めちまえ」ってことではなく、君主制度を維持することによって、むしろ我々が君主となる側の人たちに非人道的なことをしていることになるんじゃなかとも思うわけです。
でも・・・誰も傷つけないように君主制を共和制に移行させるなんて・・・絶対に無理ですよね。しかも、彼らが守り続けてきた無形有形の文化的な財産を消失させずに、君主制だけを少しずつ解体なんて・・・きっとならないですよね。
みんなが納得するなんてこと、どんな場面でもありえないものですが・・・この問題は、特に難しいです。でも、これからの日本の立憲君主制は、どうしていけばいいんでしょうね。それは、我々の問題だから、ちゃんと考えないといけないことなんですが・・・あれ?ちっとも映画の話じゃなくなりましたね(^^;。
ところで・・・最近『クイーン』を見ました。そう、ダイアナさんが亡くなった時の、エリザベス女王の苦悩を描いた映画です。ダイアナファンの多い世の中では、違和感を感じる人も多いかと思いますが、わたし的には自分の気持ちに添った描き方をしてくれている映画でした。
いつも言っているように、ダイアナさんが悪い人だと思っているわけではないですよ。大変な目にあった人だと思っているし、その中で自分なりに頑張った方だと思うし、お綺麗だから人気があっても不思議はないとも思っています。でも、人々をあれほどまでに熱狂させていることにかんしては、正直、理解不能なんですよね。
なので・・・ということでもないのですが、なんとなくエリザベス女王は、お可哀そうだなと思っていて・・・そういう気持ちを消化させてくれる映画でした。
思想的には、わたしは君主制には反対の立場の人間です。特定の家系もですし、特定の個人でもですが、その人たちを特別視する、ましてや神聖な何かを纏わせるようなことは、間違っていると思っています。そういう意味では、映画の中に登場する、女王を批判するブレア首相夫人と考え方は違わないんです。が・・・どうも、エリザベス女王や、昭和天皇を、テレビの中で拝見していると、どうしても憎めない思いがするんですよね。なので、映画の中では、ブレア首相と一番気持ちが寄り添ってしまいました。
それが、チャールズ皇太子になると全く何も感じませんし・・・わが国の今上天皇にも対しても、そんなには思いません。(美智子皇后には、ちょっと感じるかな)
それは、いったいどうしてなのかなぁと考えると、やっぱり彼らの時間に気後れしているのかなと、ふと、そんなことを考えました。映画の中で、就任の挨拶にきたブレア首相に、エリザベス女王が、今まで10人の首相と会ってきた、最初はチャーチルだったと言う台詞があるんですが・・・あの戦争を君主として経験してきた人ですからね・・・その時間の重さに、どこかで圧倒されているのかもしれません。
もともと、戦争未体験コンプレックスがあって・・・戦争を知らないことの幸せが自分の罪であるように感じる部分もあるものだから・・・戦争を体験している人に戦争の話をされると、それだけで恐縮する傾向はあるんですけどね。
お金とか、地位とかでも同じなんですが・・・持ってることを当然と思って、その美味しい部分だけを貪っている人をみると、持っているものを総て奪いたくなる衝動にかられますが・・・持っていることの責任を意識している人には、労いの気持ちが生まれるでしょ。そういうことかなぁ~とも思います。
わが国で言うなら・・・昭和天皇に対して、思うところがある人も多いと思うのですよ。そう、先の戦争に関してね。なぜ彼が、戦争の責任を負わなかったのかということに対してね。そう思うのは当然だし・・・だから、そのことを間違っているなんて、決して言わないですが・・・わたしは個人的に、昭和天皇は戦争の責任を取らせてもらえなかったことが辛かったろうなぁ~と・・・それを背負いながら生きた戦後の何十年という長い時間は、一分一分、一秒一秒が、孤独に罪を背負い続けた時間だったんじゃないかなと思うと、痛ましい人生だったろうなって思うんですよ。いっそ極刑を受けていたらなら、さぞかし楽だったろうに・・・彼の命でしか守れなかったものを守る為に、恥をしのび、失われた命に詫びながら過ごした時間だったんだろうなと。
そういう昭和天皇のことを考えても、ダイアナさんや今の雅子さんのことを考えても・・・だからこそ、やっぱり君主制ってどうなのか・・・とも思いますね。つまり「あいつらばっかり贅沢しやがって、そんなの不公平だから君主制なんて止めちまえ」ってことではなく、君主制度を維持することによって、むしろ我々が君主となる側の人たちに非人道的なことをしていることになるんじゃなかとも思うわけです。
でも・・・誰も傷つけないように君主制を共和制に移行させるなんて・・・絶対に無理ですよね。しかも、彼らが守り続けてきた無形有形の文化的な財産を消失させずに、君主制だけを少しずつ解体なんて・・・きっとならないですよね。
みんなが納得するなんてこと、どんな場面でもありえないものですが・・・この問題は、特に難しいです。でも、これからの日本の立憲君主制は、どうしていけばいいんでしょうね。それは、我々の問題だから、ちゃんと考えないといけないことなんですが・・・あれ?ちっとも映画の話じゃなくなりましたね(^^;。