オアシスインサンダ

~毎週の礼拝説教要約~

この川が流れる所では

2018-03-18 00:00:00 | 礼拝説教
2018年3月18日(日)主日礼拝(エゼキエル書47:9)岡田邦夫

「この川が流れる所では、すべてのものが生き返る。」エゼキエル書47:9

子どものころ、家に風呂がないので、銭湯に行きました。正面にペンキで富士山の絵が描かれていました。東京の神田にある風呂屋が大正元年(1912年)、客の子供に喜んでもらおうと、洋画家に富士山の絵を描いてもらったのが初め。それが好評で、関東周辺に広まっていったといいます。湯船が正面ペンキ絵の下にあるのは、絵の中にある、海、川、湖の水が真下の湯船と同一空間にあり、富士山で清められた水の中に身をゆだね、体を清める、という心理をもたらすものかもしれません。

◇どこから来て
ところが、聖書の舞台というのは荒涼たる砂漠地帯です。限られた泉や川の周辺しか、緑がない世界です。水は命の水であり、人に命を与える働きをします。水が湧き出て川となり、大きな川なるというのは大いなる神の恵みであり、夢のような風景です。それが今日のエゼキエル書の黙示です。黙示は黙示録の黙示で、天の動画と言えます。ただ、聖霊により、信仰によらなければ、真相は見えない、聞こえないというものです。
エゼキエルは祭司の家系であり、バビロンに捕囚されていったユダの民の一員でした。エルサレムが陥落する前と、包囲されている間と、陥落して民が捕囚されてからと、3期にわたって、預言活動を続けていました。その捕囚となって25年目に神々しい「神殿」の幻を見たのです(40:1-2)。神殿は神の国の幻です。神殿は神の恵みの源です。47章1節にこう書きだされています。「彼は私を神殿の入口に連れ戻した。見ると、水が神殿の敷居の下から東のほうへと流れ出ていた。神殿が東に向いていたからである。その水は祭壇の南、宮の右側の下から流れていた」。その恵みの川、命の川は、始め、足首の深さから、ひざに達し、やがて腰、ついには大河となってとうとうと流れていきます。この預言は現実となっていきます。聖霊が弟子たちに降り、その大河は荒野である世界に流れゆくという歴史をたどってきたといえましょう。まさに大河ドラマです。
また、これは霊的な流れです。主イエス・キリストは神の国は近づいたと宣言され、大声でこう言われました。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる」(ヨハネ7:37-38)。
私たちは四国の愛媛の教会で7年、牧会していました。水道代を払ったことがありません。井戸水だからです。西日本で一番高い石鎚山が雨水をたっぷり含み、長い年月をかけて濾過されて、ふもとに湧き出てくるので、かれることはないし、消毒しなくても使えました。上なる神殿の敷居の下から流れ出た命の水は主を信じる者の心の奥底に流れ、そこから流れ出るのだと主が言われたのです。これが聖霊の恵みなのです。

◇どこへ行くのか
 命の川はどこに流れていくのでしょうか。「この水は東の地域に流れ、アラバに下り、海にはいる。海に注ぎ込むとそこの水は良くなる」(47:8)。海は死海のこと、アラバはその死海に至る荒れ地。死海はその名の通り、塩分が25パーセントで生き物が住めない湖。しかし、この命の水が注ぎ込むとその海の水が良くなり、あらゆる生物が生き、非常に多くの魚が住むようになるという幻です。しかも、大海のように、魚の種類も豊富となり、川の両岸は多種の果樹で覆われ、毎月、実がなり、葉も薬となり、命に満ちているのです。
この世は霊的死海です。イエス・キリストが来られ、永遠の命の流れが私たちにおよんだのです。エペソ2:1、5によれば、クリスチャンは罪過と罪の中に死んでいたが、恵みにより信仰によりキリストと共に生かされ、救われたのだと告げています。

 母教会に神学生(修養生)がミッションに来ていました。日曜の夜の伝道会で説教をされ、その中で証詞をされました。自分は校長の息子で、期待されて東大を受験したが落ちた。浪人して再挑戦したが駄目だった。ストレスで酒を飲むようになり、ひどい依存症になってしまい、入院することになった。良くなったので退院し、家路にむかった。電車に乗ろうと駅のプラットホームに立った。売店が目に入るやいなや、店頭の酒に手を出して、一気に飲んでしまった。振出しに戻ってしまった。同じことの繰り返しだった。ある日、すがるような思いで、教会に行った。女性の伝道者が迎えてくれ、福音を聞き、救われた。不思議とアルコールから解放された。その後、献身し、東京聖書学院に入学した。彼はある時、ミッションである教会に行った。訪問するように言われ、一人のおじいさんを訪ねた。貧しく、ボロ屋に住んでいたが、恵まれた顔で迎えてくれた。どうして、そんなに恵まれた顔をしているのかと聞くとこう言ったという。「水は低いところに、低いところに流れるものだよ!」。その言葉が心に染みたと証しされ、み言葉を取りつぎました。「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです」(マタイ5:3)。
 神の命の大河は低いところに、低いところに流れていくのです

 豊中泉教会で牧会をしている時に、T姉が三田市に家を建て、引っ越すことになしました。「先生、お言葉を下さい」と言われますので、祈って、このみ言葉が与えられ、三田に送り出すことになりました。「この川が流れる所では、すべてのものが生き返る」(47:9)。定礎式には教会からは牧師と役員とバイオリニストが行き、バイオリンの奏楽で行われ、それがご近所に響き渡りました。家が建ち、家庭集会が開かれると、十数名が集まり、いよいよ教会堂が必要となりました。1998年に古い農家を買い取り、礼拝が出来、集会が出来、牧師が住めるように改装して、開拓を始めました。そのバイオリンの賛美歌を聞いていたというご近所の方が家庭集会に来られ、教会が出来てから、救われ、ご主人も救われました。後に、T姉のご主人も救われ、献身し、今は関東の教会で牧会されています。何人もの兄弟姉妹が加えられて、「この川が流れる所では、すべてのものが生き返る」のみ言葉のように今の教会となっています。
開拓当初の三田市の地図には教会はカトリック教会と日基の保育園が載っているだけでした。しかし、2001年の地図にはもう一つの教会と「三田泉キリスト教会」が、新たに載っていて、最新版もそうなのです。他にも教会はあるのに、農家を改装した、教会らしくない会堂ですのに、なぜなのか不思議です。この周辺には教会はここしかないのですから、この命の川の流れが流れ続けますよう、私たちは祈っています。新年度から、牧師はみのお泉教会と兼牧になります。牧師の数が足りなくなってきた、歴史の流れですが、この時こそ、神の恵みの流れを思い、祈り、主に仕えていきたいと願います。永遠の命の大河はどこから来て、どこへいくのでしょうか。「この川が流れる所では、すべてのものが生き返る」のみ言葉がなおも、実現していきますように…。

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