オアシスインサンダ

~毎週の礼拝説教要約~

恐れないで、ただ信じなさい

2014-05-18 13:12:00 | 礼拝説教
2014年5月18日 主日礼拝(マルコ福音書5:35-43)岡田邦夫


  イエスはその話している言葉を聞き流して、会堂司に言われた、「恐れることはない。ただ信じなさい」。マルコ福音書5:36

 家内の親戚のある夫婦が突然、教会で洗礼を受けるのだと言い出しました。現在、教会に行っている訳ではないのですが、そのように心に決めているようです。それが現実となるよう祈っています。クリスチャンにとって、親族や教会に来ている求道者が洗礼を受けるというのはこの上ない喜び、グッド・ニュースです。イエスが伝えられた「福音」こそ、最大のグッド・ニュースです。イエスは言われました。「時が満ちた。神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ」(マルコ1:15)。たとえば、おぼれかけている私たちを神さまがぐっと手を差し出して、引き上げ、助け出してくださるようなものです。そのような話が4つの福音書には一杯出てきます。今日は4つのグッド・ニュースをまとめてしましょう。

 いつものように、イエスのまわりにはたくさんの人が話を聞きにガリラヤ湖の岸辺に集まってきました。舟を浮かべ、舟の上から、イエスは話をされていました。話が終わると夕方になっていました。「それでは解散しましょう。気をつけてお帰りなさい」。「わかりました。さようなら」。「さようなら」。…。「ペテロさん、ヨハネさん、お弟子の皆さん」。「はい、イエスさま」。「向こう岸へ渡りましょう」。イエスをお乗せして、船をこぎ出しました。ぎこぎこ。ガリラヤ湖では時々あるのですが、山から激しい風がビューと吹き下ろしてきたのです。波がザブーンとおそいかかる。水が舟に一杯入ってくる。「桶でかきだせ」。「よいしょ」。ザブーン。
 弟子たちは大騒ぎ。それなのにイエスは舟のとものほうで、枕してスヤスヤと寝ておられる。「先生、起きてください」。「なんだい、騒々しい。、よく寝た」。「先生。私たちがおぼれて死にそうでも、何とも思わないのですか」。イエスはきりっと起き上がったのです。「黙れ、静まれ!」と風と湖をしかったのです。するとどうでしょう。風はやみ、湖は穏やかになったのです。シーンとなりました。びっくりして、弟子たちもつばをごくりとのんでシーンとなりました。聖書にはこう書いてあります。イエスは彼らに言われた。「なぜ、そんなにこわがるのか。どうして信仰がないのか」。彼らは恐れおののいて、互に言った、「いったい、この方はだれだろう。風も海も従わせるとは」。今風に言ったら、「うそでしょ。信じられない。アンビリーバブル。この人いったい誰なの」。こうして、死にかけた弟子たちは助けられたのです。

 こうして、穏やかなガリラヤ湖を渡りきり、ゲラサ人の住む着きました。イエスが舟から上がるとすぐ、一人の人が墓場からやってきて迎えたのです。いったいこれから何が起こるのでしょう。この人は墓場や山でワーワー叫び続け、石で自分のからだを傷つけていたのです。何があったのでしょうね。悪霊に取りつかれていたからです。だれも治して上げる事も出来ない、かわいそうな人でした。嵐のガリラヤ湖のように、心の中が嵐になっていたのですね。そこで、イエスは風や海に命じたように、命令をしました。「汚れた霊よ、この人から出て行け」。悪霊が言います。「いと高き神の子イエスよ、あなたはわたしとなんの係わりがあるのです。神に誓ってお願いします。どうぞ、わたしを苦しめないでください」。「お前の名前は何の言うのか」。「おおぜいおりますのでレギオンといいます。出て行けとおおせでしたら、豚の中に入らせください」。「では、許そう」。するどうでしょう。2000匹の豚の中に入り込み、豚は駆け出し、海の中になだれ込んでいったのです。
 そうして、この人は心のガリラヤ湖は静まり、正気になり、ちゃんと服を着ていたので、周囲の人はびっくり。イエスは暖かく言われました。「あなたの家族のもとに帰って、主がどんなに大きなことをしてくださったか、またどんなにあわれんでくださったか、それを知らせなさい」。

 話は続きます。イエスの評判は広がり、その海辺に大勢の人が集まってきました。そこへ会堂を管理するヤイロという人がイエスの足下にひれ伏しました。一所懸命お願いするのです。「わたしの幼い娘が死にかかっています。どうぞ、その子がなおって助かりますように、おいでになって、手をおいてやってください」。この人も心配で心配で、心の中が嵐でした。「では、参りましょう」。いっしょに家に向かいました。大勢の人がいっしょについて来るではありませんか。ワイワイ、ガヤガヤしています。
 ところが、イエスは急に立ち止まりました。「わたしの着物にさわったのはだれか」。「こんなにたくさんの人が押し合いへし合いなのに、色んな結構、服には触れているのに、変なことをいうな」。実はイエスは自分の中から力が出ていくのをはっきり感じたので、そう言われたのです。すると、一人の女性が進み出て、ひれ伏し、ありのまま話したのです。「実はわたくし、12年も血が止まらない婦人病でした。色んな医者にかかりました。治ると言われて、お金を払いましたが、治りません。お金は使い果たすし、体のしんどいし周囲からは汚れた人と言われて、とても孤独でした。見捨てられたような気持ちでした。人生の嵐に飲み込まれていました。でも、イエスさまの服でもさわれば、なしていただけると思ってさわりました。そしたら、とたんに、血が止まって治っていたのです」。「娘よ、あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい。すっかりなおって、達者でいなさい」。

 会堂管理者の家から、人が来て「あなたの娘はなくなりました。もう先生に来てただなくてもいいでしょう」と報告。ここは大事なところ、イエスはヤイロにしっかりと言われます。「恐れることはない。ただ信じなさい」(マルコ福音書5:36)。家に着くと人々がオイオイ、ガヤガヤ。「娘は死んだのではない。眠っているだけだ」。「そんな馬鹿な」。「みんな、出て行きなさい。お父さんとお母さん、ペテロ、ヨハネ、ヤコブだけ、子供にいる部屋に入りなさい」。中はシーンと静まります。イエスは子供の手を取ります。「少女よ、さあ、起きなさい。タリタ、クミ」。死人を呼び戻す声です。するとすぐ、12才の少女は起き上がったのです。「何か、食べさせなさい」。少女は生き返ったのです。死の嵐から、生還したのです。両親も心配の嵐は吹き飛んだのです。

 新聖歌543「ガリラヤ湖の岸にて」にはこういう言葉があります。「心のガリラヤ湖に嵐はすさめど、主イエスの一言葉は平和をもたらす。…力のある言葉に助け出されぬ。…延べたもう手にすがれ、なれも安きうけん。とこしえまで君をなれは神とせん」。あなたはどのような嵐に見舞われていますか。グッド・ニュースをくださるイエスは優しく、はっきりといわれます。「恐れることはない。ただ信じなさい」(マルコ5:36)。

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