2017年10月1日 主日礼拝(詩篇121篇・紙上説教)岡田邦夫
「私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。私の助けは、天地を造られた主から来る。」(詩篇121:1~2)
一日一章という聖書通読がなされています。読みやすい章もあれば、難しい章もありますが、とにかく、一日一章です。詩篇にいたってはおおむね読みやすいのですが、119篇は176節の長さ。読むには時間がかかる。胸突き八丁といったところでしょうか。しかし、次の120篇からは短い。何度でも読み返せます。120~134篇は「都のぼりの歌」、エルサレム神殿への巡礼の歌です。その道のりは困難だったり、危険だったり、大変だったようです。
◇「しかし」の信仰
この121篇はそういう大変な巡礼の時に歌われた歌だったようです。それは人生の旅と重ねて思いをはせたり、信仰を高めたりするのでしょう。初めの「私は山に向かって目を上げる。」の山というのはシオンの山=エルサレム=聖都だと思いをはせることもできます。神がお住まいになるシオンを信仰をもって見上げるのです。「私の助けは、どこから来るのだろうか。」という信仰です。
しかし、巡礼者が歩いていく周囲は荒れていて、山々を見上げると不安や怖れにさいなまれるのでしょうか。そういう山々で八方ふさがり。そこで、「私の助けは、どこから来るのだろうか。私の助けは、天地を造られた主から来る。」と信仰をもって飛躍するのです。助けはどこにも見当たらない、しかし、天地の創造者の助けがあるという「しかし」の信仰に立つのです。
山々だけではない。荒野だから怖いのは灼熱の太陽。日影がなければ、熱中症になる危険があります。夜の月も不気味。病になるかもしれないという思いになる。極度な孤独にさいなまれ、精神病になる可能性もあります。しかしです。「私の助けは、天地を造られた主から来る。」と翻るのです。「昼も、日が、あなたを打つことがなく、夜も、月が、あなたを打つことはない」。人生で身を焦がすような「試練」に会うかもしれない。凍り付くような「絶望」に襲われるかもしれない。しかし、「昼も、日が、あなたを打つことがなく、夜も、月が、あなたを打つことはない」と創造主を見上げるのです。
◇「ずっと」の信仰
それは神がずっと、そばにいてくれるからです。5節の共同訳はわかりやすいのでその訳を取りあげましょう。「主はあなたを見守る方/あなたを覆う陰、あなたの右にいます方」。私やあなたに襲いかかる災いから主は御手を覆って守り、向かってくる敵に対して主は傍らにいて守ってくださるのです。しかも、「主はあなたの足の動かされるのをゆるされない」のです。「主は、すべてのわざわいから、あなたを守り、あなたのいのちを守られる」のです。
それが「ずっと」なのです。「あなたを守る方は、まどろむこともない。
見よ。イスラエルを守る方は、まどろむこともなく、眠ることもない。」のです。24時間、365日、一生の間、一分一秒たりとも休むことなく、なのです。「主は、あなたを、行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる」。
いのちは「たましい」とも訳せます。たましいの守りはとこしえまでも、永遠の守りなのです。死がやってきても、最後の裁きがやってきてもたましいが守られるために、イエスの十字架の贖いがなされ、キリストの復活による永遠の命が与えられたのです。
新聖歌にはこの詩篇をそのまま歌った「山辺に向いてわれ」(299)があります。よく歌われますので、次に二つの新聖歌の歌詞をご覧ください。
「ややに移りきし」(473)天国への望みの歌です。
1. ややに移りきし 夕日かげの
残るわがいのち 今か 消ゆらん.
(オリカエシ)
み使いよ 翼をのべ
とこしえの故郷へ 導きゆけ
とこしえの故郷へ 導きゆけ
2. 迎えの使いは 近づくらし
翼うちかわす 音の聞こゆ
3. この身を救いて 死にたまいし
主にまみゆる日ぞ ただ待たるる.
「GOD BLESS YOU」(198)祈りの歌です。
1. God bless you
神の御恵みが豊かに あなたの上に
注がれますように
あなたの心と身体と
すべての営みが守られ支えられ
喜び溢れるように わたしは祈ります
God bless you God bless you
God bless you God bless you
2. God be with you
神の御守りがいつでも あなたの上に
注がれますように
あなたがどこにいるとしても
なにをするとしても
いつでも神様が共におられますように
わたしは祈ります
God be with you God be with you
God be with you God be with you
「私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。私の助けは、天地を造られた主から来る。」(詩篇121:1~2)
一日一章という聖書通読がなされています。読みやすい章もあれば、難しい章もありますが、とにかく、一日一章です。詩篇にいたってはおおむね読みやすいのですが、119篇は176節の長さ。読むには時間がかかる。胸突き八丁といったところでしょうか。しかし、次の120篇からは短い。何度でも読み返せます。120~134篇は「都のぼりの歌」、エルサレム神殿への巡礼の歌です。その道のりは困難だったり、危険だったり、大変だったようです。
◇「しかし」の信仰
この121篇はそういう大変な巡礼の時に歌われた歌だったようです。それは人生の旅と重ねて思いをはせたり、信仰を高めたりするのでしょう。初めの「私は山に向かって目を上げる。」の山というのはシオンの山=エルサレム=聖都だと思いをはせることもできます。神がお住まいになるシオンを信仰をもって見上げるのです。「私の助けは、どこから来るのだろうか。」という信仰です。
しかし、巡礼者が歩いていく周囲は荒れていて、山々を見上げると不安や怖れにさいなまれるのでしょうか。そういう山々で八方ふさがり。そこで、「私の助けは、どこから来るのだろうか。私の助けは、天地を造られた主から来る。」と信仰をもって飛躍するのです。助けはどこにも見当たらない、しかし、天地の創造者の助けがあるという「しかし」の信仰に立つのです。
山々だけではない。荒野だから怖いのは灼熱の太陽。日影がなければ、熱中症になる危険があります。夜の月も不気味。病になるかもしれないという思いになる。極度な孤独にさいなまれ、精神病になる可能性もあります。しかしです。「私の助けは、天地を造られた主から来る。」と翻るのです。「昼も、日が、あなたを打つことがなく、夜も、月が、あなたを打つことはない」。人生で身を焦がすような「試練」に会うかもしれない。凍り付くような「絶望」に襲われるかもしれない。しかし、「昼も、日が、あなたを打つことがなく、夜も、月が、あなたを打つことはない」と創造主を見上げるのです。
◇「ずっと」の信仰
それは神がずっと、そばにいてくれるからです。5節の共同訳はわかりやすいのでその訳を取りあげましょう。「主はあなたを見守る方/あなたを覆う陰、あなたの右にいます方」。私やあなたに襲いかかる災いから主は御手を覆って守り、向かってくる敵に対して主は傍らにいて守ってくださるのです。しかも、「主はあなたの足の動かされるのをゆるされない」のです。「主は、すべてのわざわいから、あなたを守り、あなたのいのちを守られる」のです。
それが「ずっと」なのです。「あなたを守る方は、まどろむこともない。
見よ。イスラエルを守る方は、まどろむこともなく、眠ることもない。」のです。24時間、365日、一生の間、一分一秒たりとも休むことなく、なのです。「主は、あなたを、行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる」。
いのちは「たましい」とも訳せます。たましいの守りはとこしえまでも、永遠の守りなのです。死がやってきても、最後の裁きがやってきてもたましいが守られるために、イエスの十字架の贖いがなされ、キリストの復活による永遠の命が与えられたのです。
新聖歌にはこの詩篇をそのまま歌った「山辺に向いてわれ」(299)があります。よく歌われますので、次に二つの新聖歌の歌詞をご覧ください。
「ややに移りきし」(473)天国への望みの歌です。
1. ややに移りきし 夕日かげの
残るわがいのち 今か 消ゆらん.
(オリカエシ)
み使いよ 翼をのべ
とこしえの故郷へ 導きゆけ
とこしえの故郷へ 導きゆけ
2. 迎えの使いは 近づくらし
翼うちかわす 音の聞こゆ
3. この身を救いて 死にたまいし
主にまみゆる日ぞ ただ待たるる.
「GOD BLESS YOU」(198)祈りの歌です。
1. God bless you
神の御恵みが豊かに あなたの上に
注がれますように
あなたの心と身体と
すべての営みが守られ支えられ
喜び溢れるように わたしは祈ります
God bless you God bless you
God bless you God bless you
2. God be with you
神の御守りがいつでも あなたの上に
注がれますように
あなたがどこにいるとしても
なにをするとしても
いつでも神様が共におられますように
わたしは祈ります
God be with you God be with you
God be with you God be with you