ニュースなどでも度々報じられているが、現在産科医が激減している。
実際、私どもの事務所でも開業医で産科を掲げるクライアントは、今や一件もない。幾人かの若手医師に話を聞くと、皆一様に訴訟リスクを口にする。出産という行為は、一般に思われているよりも遥かに危険性を孕んだ医療行為になることが多いそうだ。
妊娠から出産まで、定期的に診察を受けた妊婦ならば、それほどリスクは高くない。事前の検査などで危険なリスクは予見可能だから。しかし、それでも100%安全ではないという。いかなる場合でも、予期せぬアクシデントの生じる可能性はあるのだから、当然だと思う。
困るのは、出産間際に突然訪れる妊婦が増えていることだと言う。経過が分らないので、リスクは急増し、安全な出産に自信が持てず、出来るなら断りたいくらいだそうだ。出来るなら、設備の整った大病院に回したいと、ある若い医師は真顔で主張した。医師が助けを求める患者から逃げるのかと、不信感を持つ人は多いと思うが、それ以上に医師は患者とその家族に不信感を持っている。
医師の不信感の背景にあるのは、道理をわきまえぬモンスター・ペアレンツの存在がある。かつて、出産における事故(死産とか)は、そう珍しいものではなかった。ただ、当時は多産であったので、あまり目立たなかったし、親もそれほど大騒ぎすることはなかった。
しかし、現在のように子供が少ないと、親の子供に対する期待は飛躍的に増大する。出産の事故なんぞ、断固認められないと依怙地になる親が急増している。おまけに、昔より医療技術の向上があり、死産にならざるえないケースでも無事出産できたケースが知られている。生半可な知識が、医師に無理難題を押し付けるようになった。
未だ合理的な解明はされていないが、都市文明が成熟した先進国では子供の出生率が低下するようになる。だからといって、出産がすべて無事になされているわけではない。おそらく出産時による死産等は、途上国のほうが多いだろうが、それでもその後の出産で子供の数は結果的に増えている。しかし、先進国では出産以前に、妊娠率自体が減少している。どうしても、出産時の事故は目立つ。
その結果が医療過誤訴訟の増大だ。小さな町の診療所なら、裁判に勝とうが負けようが、この裁判一発で評判はがた落ちして、廃業まちがいなし。開業を目指す医師が、産科を避けるのも当然だと思う。
もう一つの問題は、医師の対人能力の低下だ。成績が良いがゆえに医師になった、あるいは親に求められて医師になった結果、医師の人間性に問題があると思えるケースをしばしば散見する。データーを説明することは出来ても、患者の気持ちを納得させることが十分にできない医師が増えたと思う。
私は二十代の頃、2年あまりを大学病院の病棟で過ごした。インターンと呼ばれる研修中の若手医師を何人も見てきたが、ろくでもない奴がいたのは確かだ。ある若手医師は注射を失敗しても、謝りもせず「針がオカシイ」とつぶやくだけ。何度も刺されて腕が腫れ上がったのを看ると、急に立ち上がってナースステーションに駆け込む。しばらくすると、中堅の医師が申し訳なさそうにやってきて、謝りながら一発で終わらせる。
そんな場面を何度も見てたので、その若手が当番の日には、私は注射の時間には逃げ出して、後で看護婦さんにしてもらっていた。彼女らの方が上手いのを知ってたしね。
誰だって最初から上手いわけない。たとえ失敗しても謝りながらも必死で努力しているのなら、私だって我慢する。しかし、謝りもせず「注射器の針がオカシイ」では納得いかない。オカシイのはお前の腕だ。それ以上に人間としてオカシイだろう。
こんな医師が、ようやく妊娠した待望のわが子の出産に失敗したのなら、当然医療過誤として訴えたくなる気持ちも分る。
私は長く難病を患っていたので、医療が完璧ではないのは理解している。しかし、心無き医療過誤を怒るのは当然だと思う。多分ね、これからも増える一方だと思う。厚生労働省の対応策は、この問題から逃げている。診療報酬の点数の問題では断固ないぞ。
実際、私どもの事務所でも開業医で産科を掲げるクライアントは、今や一件もない。幾人かの若手医師に話を聞くと、皆一様に訴訟リスクを口にする。出産という行為は、一般に思われているよりも遥かに危険性を孕んだ医療行為になることが多いそうだ。
妊娠から出産まで、定期的に診察を受けた妊婦ならば、それほどリスクは高くない。事前の検査などで危険なリスクは予見可能だから。しかし、それでも100%安全ではないという。いかなる場合でも、予期せぬアクシデントの生じる可能性はあるのだから、当然だと思う。
困るのは、出産間際に突然訪れる妊婦が増えていることだと言う。経過が分らないので、リスクは急増し、安全な出産に自信が持てず、出来るなら断りたいくらいだそうだ。出来るなら、設備の整った大病院に回したいと、ある若い医師は真顔で主張した。医師が助けを求める患者から逃げるのかと、不信感を持つ人は多いと思うが、それ以上に医師は患者とその家族に不信感を持っている。
医師の不信感の背景にあるのは、道理をわきまえぬモンスター・ペアレンツの存在がある。かつて、出産における事故(死産とか)は、そう珍しいものではなかった。ただ、当時は多産であったので、あまり目立たなかったし、親もそれほど大騒ぎすることはなかった。
しかし、現在のように子供が少ないと、親の子供に対する期待は飛躍的に増大する。出産の事故なんぞ、断固認められないと依怙地になる親が急増している。おまけに、昔より医療技術の向上があり、死産にならざるえないケースでも無事出産できたケースが知られている。生半可な知識が、医師に無理難題を押し付けるようになった。
未だ合理的な解明はされていないが、都市文明が成熟した先進国では子供の出生率が低下するようになる。だからといって、出産がすべて無事になされているわけではない。おそらく出産時による死産等は、途上国のほうが多いだろうが、それでもその後の出産で子供の数は結果的に増えている。しかし、先進国では出産以前に、妊娠率自体が減少している。どうしても、出産時の事故は目立つ。
その結果が医療過誤訴訟の増大だ。小さな町の診療所なら、裁判に勝とうが負けようが、この裁判一発で評判はがた落ちして、廃業まちがいなし。開業を目指す医師が、産科を避けるのも当然だと思う。
もう一つの問題は、医師の対人能力の低下だ。成績が良いがゆえに医師になった、あるいは親に求められて医師になった結果、医師の人間性に問題があると思えるケースをしばしば散見する。データーを説明することは出来ても、患者の気持ちを納得させることが十分にできない医師が増えたと思う。
私は二十代の頃、2年あまりを大学病院の病棟で過ごした。インターンと呼ばれる研修中の若手医師を何人も見てきたが、ろくでもない奴がいたのは確かだ。ある若手医師は注射を失敗しても、謝りもせず「針がオカシイ」とつぶやくだけ。何度も刺されて腕が腫れ上がったのを看ると、急に立ち上がってナースステーションに駆け込む。しばらくすると、中堅の医師が申し訳なさそうにやってきて、謝りながら一発で終わらせる。
そんな場面を何度も見てたので、その若手が当番の日には、私は注射の時間には逃げ出して、後で看護婦さんにしてもらっていた。彼女らの方が上手いのを知ってたしね。
誰だって最初から上手いわけない。たとえ失敗しても謝りながらも必死で努力しているのなら、私だって我慢する。しかし、謝りもせず「注射器の針がオカシイ」では納得いかない。オカシイのはお前の腕だ。それ以上に人間としてオカシイだろう。
こんな医師が、ようやく妊娠した待望のわが子の出産に失敗したのなら、当然医療過誤として訴えたくなる気持ちも分る。
私は長く難病を患っていたので、医療が完璧ではないのは理解している。しかし、心無き医療過誤を怒るのは当然だと思う。多分ね、これからも増える一方だと思う。厚生労働省の対応策は、この問題から逃げている。診療報酬の点数の問題では断固ないぞ。