ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

「考えるヒント」 小林秀雄

2007-11-14 09:30:36 | 
王様は裸だ!

今なら言えると思う。おそらく高校まで普通に通ったことのある人なら、誰しも一度はぶつかった壁だと思う。あの難しい文章は、ほんとうに苦痛だった。論旨不明瞭なのはまだしも、迂遠で回りくどい言い回しは、理解し難い事この上ない難関だった。

実際問題として、大学受験の時は毎年必ずどこかの問題に、小林秀雄の論評が出題される。過去問でも、予備校の出題でもいいが、関門のように立ち塞がったのが小林秀雄だった。

あたしゃ、国語力はそれほど低いとは思わないけど、模範解答解説を聞いても心底納得したことはなかった。それでも、内心の疑問を口に出す勇気はなかった。

当時は、小林秀雄を読めることがインテリの資格であるかのような印象があった。たしかに、あの難解な文章を知的に楽しめるのなら、相当な知性があるのだろうと当時は憶測していた。そして、私はその手前で墜落していたとも感じていた。

でも、今なら言える。小林先生よ、難しく書き過ぎて、却って意味不明瞭の迷い路に入り込んでいるよと。どんな文章でも、読んだ人に意味が通らなければ意味が無い。価値が無いとは言わないが、価値が低くなると考えるべきだ。難しく書く事は、実はそれほど難しくない。或る程度の読書量のある人なら、意図的に難しい文章を書く事はそう難しくない。

本当に難しいのは、難しいことを分りやすく書くことだと思う。その意味で、小林秀雄の評論は失格だと思う。夏目漱石論を完成させたのは、小林秀雄だという。たしかに夏目漱石は難解だと思う。私自身、何度読み返しても、漱石の悩みの全てを理解できたとは思えない。その苦悩の奥深さは、近代日本の葛藤そのものだと思う。

しかし、小林秀雄の評論はそれを難しく表現しすぎだ。なにより不愉快なのは、難しくすることで、高尚なものだと錯覚させる手法が不愉快だ。そう共感した文芸人も同罪だと断じたい。分りやすく論じるならともかく、分りにくく論じる評論をありがたたがるな。

意図的に難しい文章にすることで表現できることがあるのは分る。しかし、それは大学の専門課程で研究すればいい。文芸サロンで、秘めやかに高尚な論争でもやっていればいい。少なくとも高校生のレベルで取り組むべき課題だとは思えない。もっと他に読むべき本があると思う。なにより一番の弊害は、あれで国語嫌いになった青少年が少なからずいると思うからだ。

国語教科書から、小林秀雄を追放すべきだ。もちろん、大学受験の問題からもだ。大学でやる分には、文句言いませんがね。
コメント
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