のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

『ボストン美術館展』1

2010-08-18 | 展覧会
朝目が覚めると「生き延びたか...」と思う今日この頃。
京都市美術館で開催中のボストン美術館展 西洋絵画の巨匠たちへ行ってまいりました。

目玉が飛び出るほどの名品というのはなかったんでございますが、もちろん全体に高水準ではあり、点数も多いので楽しめました。特に肖像画のセクションでは、ファン・ダイク、レンブラント、ハルス、ゲインズバラ、そして小品ながら存在感ありまくりのマネとベラスケスが一室に展示されているという濃厚さ。また、時代ではなく主題によってセクションが分けられているので、同一の主題に対するアプローチの違いを比べることができる構成となっております。
その中からとりわけ印象に残った作品を取り上げさせていただきますと。


『笞打ち後のキリスト』 ムリーリョ 

ムリーリョの宗教画って往々にしてファンシーすぎるのでワタクシ苦手な方なんでございます。しかしこの作品は、地味な画面から滲み出る精神性にハッとさせられました。

キリストの笞打ちというとカラヴァッジオ、ピエロ・デッラ・フランチェスカをはじめ、まさに笞打たれている真っ最中を描いたものが普通でございます。笞打ち後、しかも床に這いつくばるという威厳もへったくれもないポーズのイエスを描いた作品というのはずいぶん珍しいのではないかと。失礼ながらこのポーズ、ウィリアム・ブレイクのネブカドネザルを連想してしまいました。
あざだらけの体の所々に血をにじませ、黙々と衣に手を伸ばすイエっさん。眉間に皺を寄せてはいてもその表情は穏やかで、頭にはかすかに光輪が輝いております。その痛ましい姿と、笞打ちを受けている真っ最中ではなくその激しさを鑑賞者に想像させる場面設定によって、自らに課された過酷な運命を甘んじて受け入れる受難者としてのキリストが表現されております。

ごく簡素な道具立てのもとに描かれた受難者イエスの姿は(傍らで見守るいやに人間的な天使たちはともかく)、聖書の一場面と言う枠を超え、運命の仕打ちを耐え忍ぶ人間の姿を象徴するかのようでございます。
もっともカトリックにあらずんば人にあらずであった17世紀のスペインにおいて厳しい運命を耐え忍ばねばならなかったのは、絵の中のイエスを見て手を合わせる人たちではなく、流浪の民やイスラム教徒たちであったわけでございますが。

ちなみに目録によるとこの作品が描かれたのは1665年以降ということでございますが、その30年ほど前にはベラスケスが同じ主題で、少なからず似た構図の作品を描いております。


*展示作品ではありません*

宮廷画家ではなかったムリーリョにこの作品を目にする機会があったかどうかは、浅学なのろには分かりかねる所でございます。あるいは「キリストの笞打ちと見守る天使たち」という主題が当時のスペインにおいて流行していたのかもしれませんね。


次回に続きます。