のろや

善男善女の皆様方、美術館へ行こうではありませんか。

「ん」

2006-01-02 | 美術
あけました。
おめでたい人は、おめでとうございます。
おめでたくない人は、残念でございましたね。

今年はおせちもお餅も用意せずに年を越したのろでありますが
なんでもおせち料理に「ん」のつく食材を使うのは、「運がつく」にかけてあるんだそうで。
即ち「ん」さえあれば縁起がいいのであろうと解釈して
再びレンブラントに御登場願いました。
ブラト・ハルメスゾー・ファ・レイ

いやあ多いですねえ!めでたいめでたい。
おまけにレンブラントには、ヨアネス・ファ・ローという名の支援者がいました。ますますもってめでたいですね。

このファン・ローンさんはレンブラントントの死に接して、心痛のあまり軽い鬱状態になってしまわれました。
そんな彼に、レンブラントの思い出や、その芸術に対する賞賛の念を「全部書いて、そうすることによって発狂しないうちに、それを取り除いておしまいなさい」と勧めたのが誰あろう、若き哲学者スピノザでありました。
このことを記したファン・ローンの『レンブラントの生涯と時代』(『スピノザの生涯と精神』所収)は偽書との説もあるらしいのですが、レンブラントとスピノザが同時代人だったことは事実です。
しかもレンブラントはアムステルダムのユダヤ人街の近くに住んでいたので、2人が顔を会わせる機会が無かったとは決して言えません。
そういうわけで、レンブラントの作品の中には、ユダヤ教徒時代のスピノザがモデルなのでは、と憶測されているものもあります。
場所は違えど、フェルメールもまた同時代の人です。彼とスピノザは同年に生まれ、ほぼ同年に没しています。
フェルメールは生涯デルフトで暮らしたそうですから、まあスピノザとは何の関わりもなかったでしょうけれども
彼らが同じ時代にひとつの国で暮らしていたのかと思うと、なにやらよだれのでるような憧憬を感じるではありませんか。(その点にだけですけれども)

今年はレンブラント生誕400年周年です。
数年前に「日本におけるオランダ年」があったばかりですが
せっかくだから何か特別な展覧会でもあるといいのに と期待する年頭でございます。



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