まさか 50年間も「宮仕え」(サラリーマン)生活をするとは・・。
メーカーの営業、ハローワーク・市役所の就職相談員を転々。
古希を過ぎても、ワイシャツが仕事着です。
営業時代の働き方・考え方・行動パターンが晩年になっても続く毎日。
ここ数年は、午前中は庁舎内での相談業務・資料作成、午後 公用車での訪問活動。
夕方 パソコンで訪問記録作成、「宿題」整理と事業所への連絡。
口下手で人と会うのが大嫌いだった若いころ。
一番避けたかった「営業」は、私には「暗黒」時代のようなもの。
「今日こそ会社を辞めよう」と思う毎日。よく鬱にならなかったもの。
そのためか営業実績は芳しくないのは当たり前。
10人以上の上司に仕えたものの、疎まれることが多かった記憶が。
その嫌な「営業」が、晩年の相談員業務に大きな影響を与えました。
いつの間にか「人」と会い、話すことが嫌いで無くなったから不思議。
事業所や団体の責任者の生い立ちや環境に関心が向く、「ミーハー」になったのです。
しかし 会う前は「どんな人?」「嫌いなタイプだったら・・」と緊張。
思い起こすと、小さなきっかけは「出向」時代に。
落ちこぼれ営業マンの「他責」意識を、「自責」に変えてくれた人と心理学。
不動産を営む経営者から、実践心理学である「成功哲学」の存在を教わったのです。
少しづつ「景色」がかわり、自分なりの「営業スタイル」も。
得意先と「相 対する」スタンスから「同じ方向を向く」スタンスにイメージ変化。
相手の会社やポジションでなく、個人・家族の生活に関心と質問を。
その前に住まいや自分や家族の話を先に開示。(自慢話にならないよう我慢しながら)
相手の心が開きかけたと感じたら、自分の失敗例と克服手法を・・。
その会話のあとは、 依頼事項を快く引き受けてくれることが多いのです。
今の仕事は、Uターン情報の収集。「わかった!みんなに話してみよう」と。
休日でも、高齢になると朝早く目が覚め、二度寝ができません。
明るくなるのを待って、必ず目の前に「成果の見える」農作業に着手。
草刈りや草取り・剪定をし、綺麗なった畑や田んぼの畔・庭に「充実」を実感。
それを見て、かみさんが「休日は休むものでしょ。」と「中毒」にチクリ。
「もっと 働いてください。」の言葉と矛盾するのだが、「片目」をつむる私。
農作業で一番きついのは、田んぼの「縁(へり)起こし」。
3枚の田んぼでたった2反5畝でも、外周は400メートル。
畔の内側を人力で溝を作るのだが、3メートルも進むと小休止。
残りの距離を振り返ると、ため息が出ます。
田植え前に、まんべんなく水を回すための必須作業。
営業時代には、娘4人の日常には、拘わらなかった私。
かみさん任せで、授業参観や入学・卒業式にも出席の経験なし。
反抗期の娘たちの冷たい雰囲気を感じながら、変えられなかった生き方。
父親の仕事内容も詳しく知らず、「父親」を書く作文は、困ったらしい。
いい父親でなかった自覚症状から、晩年の娘たちとの接し方にも困惑が。
娘たちも就職し、結婚して家庭を持つと、父親の「仕事人間」に多少理解が。
仕事観や人生観について、会話できるようになりました。
この娘との会話や仕事内容が、相談業務に活きている実感。リアルに話せるからかも。
先日 16歳の女性の就職のお世話をし、燃料を扱う会社に採用。
82歳のUターンの高齢者のお世話も。清掃関係に決定。
多くの相談者に「今が仕事人生で一番楽しい」というと、大概の人が口あんぐり。
SMSでやり取りし、遠隔地からのIターン者との相談は、休日出勤。
我が家においでいただき、私の淹れたコーヒーを振舞いながらの相談も。
何時まで働けるかわからないけど、就職が決まって喜ぶ人を見るのが私の「喜び」。
「ワーカホリック」を楽しむ「高齢」になりました。
画像 裏庭の岩場 手前柿の木、その奥もみじ、一番奥びわの木
美味しい富有柿、びわは猿しか食べません
広島の電車 広島駅前から出るチンチン電車
広島産のかみさんの家の前も走ります
富士山 東名高速から、かみさんが運転中
博多人形 九州支店時代 餞別代りにもらったもの
飲み友達の得意先の顧問からいただきました
マグロ定食 新宿勤務時代によく通った店の定食
定食は1000円、今思うと贅沢だったかも
ラーメン けやきは有名、一番好きだったのは旭川ラーメン
福島のソバ屋 そば粉は北海道産が美味しい
得意先の女性専務に「商売」を教わりました
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