「日残りて昏(く)るるに未だ遠し」
この言葉が、ここ数年間の私の心境です。
太陽が西に傾いてきたけど、暗くなるにはまだ随分時間があるとの意味です。
体が昔に比べ無理が利かなくなり、音楽を楽しむ聴力や、固有名詞の記憶力が落ちてきて、「年かな?」と思う年齢になってきました。
しかし人生の晩年を迎えるのはまだ少し時間があるという想いなのです。
この言葉は藤沢周平の小説「三屋清左衛門残日録」の主人公の気持ちなのです。
江戸時代 ある藩の用人(高級官僚)が跡目を譲り、悠々自適の生活を楽しむのかと思うと、そうではなく、毎日の生活の中にふと寂しさを感じ、息子の嫁にも遠慮するのです。
NHKのBSドラマで放映されました。
仲代達也がこの主人公の武士を演じています。
嫁を演じた南果歩が又素晴らしいのです。
舅 仲代との絶妙なやり取りと距離感は、頭のよさと育ちのよさを感じさせる設定です。
こんな舅のいるところに娘4人を嫁がせたいと思いました。
こんな娘に育てなくてはと思いました。もう遅いかも知れませんが。
友人の奉行の頼みで再度活躍しますが、一線をリタイアした人間の行動の方に興味が
あります。
かっこ良くなくても、生きていくことができるのかどうかです。
「三屋清左衛門」にあこがれます。
コメントありがとうございます。
仲代はまだ、若いころの作品です。
鞘に収まっているが、「抜き身」を感じさせる演技。
そのことが、まだ「老い」を感じたくない私の本心を刺激するのかもしれません。