元ベース弾きの田舎暮らしは

60歳で田舎にUターン、素人の「米と野菜」作り
音楽が縦軸の人生
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「轟け鉄輪」 85歳の母親の国鉄勤務時代 Ⅱ

2007年11月18日 | ふるさとの母親


休日の早朝、田舎の母親に電話します。

安否を確かめると同時に、ふるさとの情報収集です。
今朝も一時間を超しました。
母がほとんどしゃべっています。私は聞き役です。

次から次へと話題が移ります。
政治の話(母親は国政選挙から地方選まで選挙大好き人間です。票集めに自信があるのです)から、
身内や近所の話まで、85歳のシニアとは思えない話題です。
大正生まれの割には、人的ネットワークが広いのです。

特に旧国鉄(現JR)のことには強い思い入れがあります。
戦前・戦後の青春時代を新見駅で過ごしたからです。
いまだに国鉄時代の同窓会の幹事に生きがいを見出しています。

今朝も、当時の先輩(もう87歳の新見在住の安達政一氏執筆)の「轟け鉄輪」(2004年出版)で盛り上がります。
安達さんは、昭和10年~50年の国鉄勤務時代のことを詳細に記しています。
母親は当時、電話交換から最後は操車、車両編成まで携わったそうです。
戦時で男性がいなくなったためです。



この当時の話がはじまると電話を切ろうとしません。
楽しい青春時代だったのでしょう。
当時の勤務は袴だったそうです。
給料をもらうと岡山のデパート「天満屋」で生地を買い、着物を作る活発な娘だったそうです。

母親の愚痴を延々聞くこともあります。
母親の世代の価値観から、最近の傾向を嘆くのです。
自分が嫁にきた、はるか60年前の時代と比べるのです。

利便性や贅沢を嘆きます。苦労することが人間を育てるという信念です。
時には私とぶつかります。
がまん強く聞いていても頑固さに辟易することもあるのです。
しかしそのあとで後悔します。母親とは多分あとわずかな時間です。

永い間故郷を離れている私の電話を待つ母親の気持ちを忘れていました。
来年からふるさとで一緒に住みます。
「音楽村」のNPOの理事長は母親だというととてもうれしそうです。

画像は 安達政一氏執筆 「轟け鉄輪」
    新見駅     駅は世界さんより   
            http://blog.goo.ne.jp/naka_premium

コメント (16)    この記事についてブログを書く
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16 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
こんにちは (keite)
2007-11-20 09:48:51
私の嫁姑ブログへコメントいただき有り難うございました。すみません。今まで気がつかなかったです。

お母様のことの日記へのコメントとしてちょっと違うけれど、どこへ書こうか、この場で失礼します。

4人姉妹のお父さん!
私は4女で未だに(40過ぎてToT)ファザコンと言われております(^◇^;)
我が家はおじいちゃんが早くに無くなったので、おばあちゃん、母、4人姉妹+父親という、男一人、女6人に囲まれて、よく、みんな男一人寂しそうとか立場がなさそう、とか言われていましたが、絶対君主の父親でしたよ。(でも優しいし面白いから大好きです)

元ベース弾きさんはどんなかな^^

奥様を男の子産まなかったと責めたりしてませんよねっ!w

退職後田舎でNPO始めるとのこと、私のおじさんも、退職後東京から帰ってきて、”高齢者の元気な町作り”をめざし、NPO立ち上げてますよ。
もっとも、メインは高齢者のスポーツの場、ですが。
このおじさん帰ってきてから、退職組のしょぼくれかかっていたおじさん連中が、野球だ、ソフトだ、カラオケ大会だとものすご~く元気に活発になりました。
NPO恐るべし!w
です。

娘さん達は上の方達は結婚してるのかな?
4女さんだけ田舎へ行くのかな?
娘さん達それぞれ、いつ帰ってきても遠慮する人のいない環境になるだろうから(嫁がいない^^;)
田舎へのんびり帰れる楽しい場所作ってあげてくださいね~

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Unknown (うらら)
2007-11-20 19:23:14
ベース弾きさん、今晩は。
夕食前の鍋をかけてのちょっとしたひとときです。

お母さまとのご様子が目に浮んでくるようですね。
私の母はだんだんと以前の母とはとても思えない行動になりつつあります。
もちろんまともなときも多いのですが、一日に電話が5,6回かかってきます。
人が来ている時や仕事に熱中している時はつい声を荒げたり言葉少なに切ってしまうことがあります。
その後自分の気持ちが沈んでいき、またかけなおすことも。^^;

「私を愛してる男性がいたとしても、母ほどラブコールを送ってくる人はいないやろね」と笑いながら友人に話すときもあります。
「理事長はお母さま」と喜んでいただけるのも、孝行冥利に尽きますね。
私も喜んでくれる「なにか」探さなくては。



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コメントありがとうございます (元ベース弾き)
2007-11-20 21:46:29
keiteさん

コメントありがとうございます。
私は絶対君主にはなれませんでした。(苦笑)
四人娘ですが、一人は男の子が欲しかったのです。
かみさんは、娘たちに囲まれてハッピーのようです。
まだ一人も嫁に行っていません。
上三人は年頃ですが、今はまだ「娘はやらん!」の気持です。四女は44才の時の子供です。子供のような、孫のような年齢です。まだ老けてはいられません。

うららさん

コメントありがとうございます。
母親は足は弱ってきていますが、口は達者です。
元気で未だに「丼飯」を食べます。負けず嫌いで、まさに「大正女の意地」を張るのです。

うららさんのブログ 写真がきれいで、オシャレですね。料理の写真はおいしそうで、メタボの私には「毒」です。
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日頃思い返すこともなく (黄T)
2007-11-20 22:06:30
最近実家に電話することすら忘れていました。
父を亡くし実家にいる母親の事を・・・。
兄弟任せになっている自分が恥しいです。
明日にでも電話してみます。
気付かせて頂いた事、感謝致します。
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新見のお祭り寿し、おいしかった (杜しま)
2007-11-20 22:46:09
こんばんは、杜しま、仙台です。
 今日2ヶ月ぶりで東京での会議がありました。帰りの車内の弁当を八重洲の地下街の大丸でもとめました。富山の鯖寿司がどうのこうのという売り場で「これ下さい」と買ってよく見たら新見市の伯備というメーカーの”備中お祭り寿し”でした。れれれ、富山じゃないのかと思いましたが、ついでに買ったボージョレとの相性が抜群!いいものがありますねえ、そちらは。
 半分残して帰り次女に食べさせたら、おいしいねえと言いました。
 こちらみちのくでは押し寿し文化がありませんがいい夜でした。
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羨ましい (osダンボ)
2007-11-20 23:19:39
 実母も、同居していた義母も、91歳・94歳で他界しました。もう随分昔の話ですが、やはり母の残像は鮮明です。最近「親孝行したい時には親はなし」が「親孝行したくないのに親達者」になったと言われたいますが、元ベース弾きさんのブログに羨ましさを感じました。
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コメントありがとうございます (元ベース弾き)
2007-11-21 08:04:14
黄Tさん

ぜひ電話してあげて下さい。
喜ばれると思いますよ。
子供が元気にやっていることが、親には一番嬉しいことなのですから。

杜しまさん

伯備は地元では有名な店です。
駅のそばにあります。特に鯖寿司は名物です。
偶然に見つけていただいたのでしょうが、新見出身としてはうれしいコメントです。

osダンボさん

やはり母親の思い出は強く残るのですね。
親孝行しなければと思いながら、頑固な主張には、時にはわずらわしいと感じることがあります。
しかし いなくなったらと思うと愛おしさがこみあげてきます。母親とは、お互い後悔しないように一杯話そうと約束しています。
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親っていい者ですよね (kako)
2007-11-21 13:49:16
懐かしいお名前の字に釣られて又来てしまいました
安達政一さん以前、住まいをしていた所で、昔風に云えば2丁ほど離れた所に住んで居られました。退職後民生委員さんをしておられましたあの方のお住まいの所は「グランドゴルフの」盛んな所でローカル紙にその方の記事に必ずお名前が載っています。写真の冊子も知人から見せて頂いた事があります。あの機関車の正面が頭に残っています。

親子って変な所で話がすれ違ったり、ねじれたり、色んな思いをしますが要するに親が子離れ出来て無いのかと思います我が子の年令は中堅なので親ばかりかまっておれない所がアル様です、主人が入院中なので心細い事がありますが・・・・
返信する
親孝行って難しい (grazia)
2007-11-21 18:20:10
昨日、郷里から帰ってきました。
娘の場合、母親を喜ばせるのって難しいです。
よかれと思っていろいろ手伝おうとすると、
自分でやろうとして意地になります。
うちの母はまだまだ年寄りになりたくないのでしょう。
お母さん思いの元ベース弾きさんには
とてもかないません^^;
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コメントありがとうございます (元ベース弾き)
2007-11-21 19:30:23
kakoさん

安達さんと母親は、今でもよく電話し合う間柄です。
この本の中に母親の名前も出てきます。
親が元気な間は、家には電話もしませんでした。
母親だけになって、初めて親のことを考えるようになったのです。
ご主人の病気が良くなって、早く退院できるようお祈り申し上げます。

graziaさん

帰省お疲れ様でした。
電話より何より直接会いに帰ることが、一番の親孝行ですね。母親は85歳になった今でも、私のことのほうを心配します。いつまでたっても子供は子供ですね。
一緒に住むといろいろと確執も生じるかも知れませんが、残りの人生を後悔しないようにしたいと思っています。
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