元ベース弾きの田舎暮らしは

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「終活」の始まり

2020年03月15日 | 思い出

「日残りて 昏るるに未だ遠し」。

作家 藤沢周平の書いた「残日録」の実感が強くなったここ数年。

「人生の残りにやるべきことに着手しなければ・・」と焦りも。

 

帰省していた次女と孫娘が、今日東京に。

桃太郎空港(岡山空港)まで車で送ります。

 

コロナ禍中 3週間の親娘孫の三代の生活は、久しぶりで楽しいけど少し疲れも・・。

有り余るエネルギーを発散する孫娘を看ることは、高齢者にはきついもの。

4歳の孫娘の思考や発言に、驚くほどの成長を感じます。

 

     

 

定年後、ふるさとの生活を選んで10年以上。

ずっと考えてきた、「家を守る、墓を守る」とは何か?

その手始めが、墓地の移転、「代々墓」の建立。

 

裏山の少し小高い場所にある墓地、石塔が40本弱。

山道がきつく感じる年齢になり、家の隣に移転を考えたことも。

しかし 私やかみさんの亡くなったあとを考えると・・。

 

四人の娘に恵まれ、全員が東京で勉強・就職、二人が結婚。

転勤族だったため、誰一人 私の実家での生活経験はなし。

実家は、父親のふるさとであり、自分たちのふるさとではないのです。

 

信心の薄い我々夫婦。「散骨でも良い」くらいの「軽い夫婦」でした。

しかし 菩提寺の東堂の「子孫がルーツを探し、手を合わせる対象は?」

とのアドバイスで、永代供養の寺を「終の棲家」にすることを決意。

 

石材店に「墓らしくない墓」のデザインと見積もりを依頼。

現在 その完成と移転スケジュールを調整中です。

石碑に刻む言葉を10以上の候補から選択中。今週決定予定。

費用の手当ても銀行と協議終了。行政への手続きは残っていますが。

 

「終活」を始めて、少し「肩の荷」が下りてきた感じ。

先祖が残してくれた田畑や山林の「行く末」は今からの懸案事項。

「日の残る時間」が少なくなってきたものの、「昏れる」のは少し先。

 

     

 

          

 

私の望みは

 施設入所中の母親が一日でも長く生きてくれること。

 四人の娘や孫たちが、健康でそれなりの生活を営んでくれること。

 何よりかみさんが、元気でそばに居てくれること。

 

「終活」は来世のためでなく、「今を生きるため」に必要だと・・。

 

画像   若かりし頃の母親(左端)   80年前の母親、かつて国鉄勤務。現在97歳

     かみさんと孫娘        市内中央の城山から市街地を望む

     四人娘と私たち夫婦の絵    知人の画家に書き加えてもらった部分

     知人の絵           左下の円の中に家族を書き加えてもらいました

                    この絵は玄関先に飾っています

 


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