読書な日々

読書をはじめとする日々の雑感

『ふたりの証拠』

2009年02月03日 | 現代フランス小説
アゴタ・クリストフ『ふたりの証拠』(早川書房、1991年)

数日前に読んだ『悪童日記』の続編である。しかし『悪童日記』のほうは双子の兄弟が「ぼくたち」と一人称で記録した出来事の体裁をとっていたが、その最後で兄か弟のどちらかが、国境外に逃亡しようとして地雷を踏んで死んだ父親を「踏み台」にして国外に逃れたので、一人残った兄か弟のどちらかが主人公として、三人称で語られる。

この兄か弟のどちらかはリュカLucasで国外に逃亡したほうはクラウスClausということになっている。この名前はちょっと見たら分るように、アルファベットを入れ替えたら作れる。つまり同じアルファベットの入れ替えでできた名前で、まるでそっくりの双子の兄弟を表すためのもののようだ。アナグラムという。同一人物がアナグラムを使って別の人間であるかのように見せたり、ペンネームとして使ったりする。つまり同一人物というのが前提にあるから面白い。ということはリュカとクラウスも同一人物だったというようなわけの分らない事態になってしまうが、『ふたりの証拠』の最後にクラウスが「小さな町」に帰ってきて、リュカの家を管理しているペーテルとのあいだに行われる会話はまさにそんな感じになっている。

『ふたりの証拠』ではクラウスが国境を越えて国外に逃げてから(15歳のとき)15年以上がすぎることになる。そのあいだに若い妊婦を助けで出産させ、その障害を持った子(マティアス)を育て、図書館勤務のクララをストーカーのごとくに追い回して最後には自分のものにするが逃げられ、障害のために小学校でいじめられるマティアスのために、ヴィクトールの家(本屋や文房具屋)を買い取り、そこで子供図書館を開く。ヴィクトールは別の町に住んでいる姉と同居しに引越すが、そこで酒と煙草を禁じられて、また本を一行も書くことができず、姉を殺してしまう。その手記がペーテルから託された手紙として掲載される。マティアスは自殺してしまい、リュカは殺して庭に埋めていたマティアスの母ヤスミーヌの骨が発見されたためにどこかに逃亡してしまった。そこで30数年ぶりに帰ってきたクラウスがもどってきたリュカのように見えるというわけだ。

ソ連占領下の自由も物もない暗い日常生活というだけでなく、『悪童日記』にあった面白さがこの小説にはまったくない。『悪童日記』のほうは、大人の世界を理解しない(理解を拒絶した)で大人と対抗しようとする子どもの視線で書かれ、それが平和な世の中なら見えてこなかったであろう大人の世界の猥雑さを面白おかしく描き出すのに成功しているが、『ふたりの証拠』のほうはただ暗いだけで、面白くもなんともない。三部作の最後の作品『第三の嘘』にどんなどんでん返しがあるのか楽しみにしておこうか。

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