車谷長吉『赤目四十八滝心中未遂』(文芸春秋、1998年)
この小説の舞台となっている昭和50年代初めといえば、私なんかは学生の頃である。1970年代の後半というところか。今でこそそんな面影はないが、その頃はまだ大阪駅だって、ターミナル駅特有の猥雑な雰囲気があった。まだ町全体に戦後復興のゆがみが残っているみたいなところがあった。それはそれで味わいがあったのかもしれない。今のようにどこに行っても同じというようなのっぺらぼうなところはなかったから。
この小説の中で主人公は東京のええとこの私立大学を卒業してええとこの会社に勤めていたという設定になっている。一方は私立大学の最高峰を出た男と、ろくに学校も行かずに怪しげなことをして毎日を暮らしている背中に刺青をした女。あんたはこんなところで生きていけへん人やと何度も言われる。竹を割ったようにスパッとしたアヤ子も裏には人に話せないような人生がある。でも腰抜けでええかっこしいの兄のために1000万円の金で博多に売られるのを結局は受け入れる。どんなにしても逃げ切れないと思ったのか、兄がコンクリート埋めにされるのを黙ってはいられなかったのか、はっきりとは書いていないが、話の展開からおのずと見えてくる。
こういういかにも昔の作家という感じのぷんぷんする小説というのはあまり好きではない。まぁ一気に読んでしまったけど。
この小説の舞台となっている昭和50年代初めといえば、私なんかは学生の頃である。1970年代の後半というところか。今でこそそんな面影はないが、その頃はまだ大阪駅だって、ターミナル駅特有の猥雑な雰囲気があった。まだ町全体に戦後復興のゆがみが残っているみたいなところがあった。それはそれで味わいがあったのかもしれない。今のようにどこに行っても同じというようなのっぺらぼうなところはなかったから。
この小説の中で主人公は東京のええとこの私立大学を卒業してええとこの会社に勤めていたという設定になっている。一方は私立大学の最高峰を出た男と、ろくに学校も行かずに怪しげなことをして毎日を暮らしている背中に刺青をした女。あんたはこんなところで生きていけへん人やと何度も言われる。竹を割ったようにスパッとしたアヤ子も裏には人に話せないような人生がある。でも腰抜けでええかっこしいの兄のために1000万円の金で博多に売られるのを結局は受け入れる。どんなにしても逃げ切れないと思ったのか、兄がコンクリート埋めにされるのを黙ってはいられなかったのか、はっきりとは書いていないが、話の展開からおのずと見えてくる。
こういういかにも昔の作家という感じのぷんぷんする小説というのはあまり好きではない。まぁ一気に読んでしまったけど。