読書な日々

読書をはじめとする日々の雑感

『桜庭一樹読書日記』

2009年02月18日 | 作家サ行
桜庭一樹『桜庭一樹読書日記』(東京創元社、2007年)

同郷の作家なのに(しかも同じ高校の出身、といっても一回りくらい年齢が違うから当たり前だけど)、存在さえも知らなかっただけに、そんな作家がいるのかと昨年の直木賞をきっかけに知ったときには、多少ともうれしかったのを覚えている。しかも、この読書日記を読むと、最近でもちょこちょこ紅緑村の両親のところに滞在して、あのI書店なんかに出入りして、大量の本を買っているなんて。

私も高校生の頃にボート部の連中の影響で「ブンガク」なるものに目覚めたというような話はすでに書いたと思うのだが、それ以来、学校からの帰り道とか休日とかに、いまは寂れてしまった商店街の一角にあるI書店に通うように出入りしては、小説などを買い求めていた。ここで、三島由紀夫の「豊饒の海」とか「奔馬」とか、あるいは「廃市」(これは三島ではなくて、えーっと福永武彦)などを買おうかどうしようかさんざん悩んだ思い出がある。この読書日記を読んでいると高校生とか中学生とかの彼女も同じだったんだね。まぁ金がないからみんな同じようなもんだろうけど。(右の絵は出身高校の校章。二枚の柏葉がロゴスとパトスを表すってことになってます。なかなかしゃれているでしょ。)

自分の読書日記にひとの読書日記の感想を書くのも変な話なのだが、桜庭一樹がどんな本をほめているのかにはあまり関心はない。それよりも彼女自身がこの読書日記にも書いているように、自分の好みだけで本を選択して読んでいると、世界が狭くなってしまうという恐怖感があるのだ。だから、彼女の場合は編集担当者とかインタビュワーなどにどんな本が好きかを聞いて、自分の知らない分野の本を開拓しているのだが、私も同じ目的でこれを読もうと思って、それはそれでまったく知らない世界の本がほとんどだったので、面白かった。なかにはアメリー・ノトンとかアゴタ・クリストフとかも出てきて、そういう場合にはどんな感想を書いているか興味津々ではあったのだが。

それと、ちょうど彼女が『赤朽葉家の伝説』や『私の男』を書いていた時期のことも少々かかれていたのが面白かった。やっぱ、『赤朽葉家の伝説』は紅緑村が舞台だから、そこに滞在したほうが書きやすかったのだろうね。いざって時に資料なんかも手に入れやすいだろうし、いったいどのあたりをイメージしているのかはよく分からないけど、現場に行ってみたり。たぶんNHKの「だんだん」の後だったら、もっと方言を取り入れたんだろうけど。

『私の男』って本はまだ読んでいないが、たぶん主人公の立場に自分を置くための作業として、あんな風に一切の読書を絶ってDVDを見たり音楽を聴いて小説の世界に入り込むことが必要だったのでしょうね。そのために一週間くらいその世界に没頭して痩せてしまうくらいというのは、さすがプロって感じ。そうやって小説のための世界が出来上がれば、一回分の量が書けたら、そこから抜け出て、また連載締め切りの前にそこに入ればいいという安心感ができて、他の作業をすることができるというのは、みんな作家さんってやっていることなんでしょうか?彼女一人の作法だとしても面白い。

それにしてもこの人の読書量ってすごい。そうとうの速読派みたいで、昼前に起きて夕方まで仕事して、それからふらふらと本屋に行って大量の本を買い込んで、晩飯食ってから夜更けまで読んで寝るということを繰り返しているようだけど、まぁこの読書日記を読んでいると、一晩に一冊のスピードで読んでいるのかと勘違いしそうになるが、日付が書いてないから実際にはそんなことはないのでしょうね。しかし、まぁすごい。それはそうと、ミステリーってそんなに面白いのでしょうか。エラリー・クイーンを高校生のころに読んでいたくらいで、ほとんど知らないのだけど。

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『逆説の日本史4』

2009年02月16日 | 人文科学系
井澤元彦『逆説の日本史4』(小学館)

この第四巻は「古今和歌集」の六歌仙から始まっているが、おもに藤原摂関政治の興亡というサブタイトルをもつ三つの章と武士はなぜ生まれたかということを「ケガレ思想」との関係で解き明かした章で構成されている。

第一に面白かったのはなんといっても『源氏物語』が藤原道長という藤原摂関政治の頂点にたつ人物の最盛期に書かれたことの謎に関わらせて解き明かした部分である。紫式部は宮中に仕える女性であったわけで彼女が源氏が天下を取るというような話を書いていることは多くの人に知られており、源氏を政治の世界から追放した道長がそのような女性に資金援助(紙を調達してやっていたらしい)までして『源氏物語」執筆を助けていたのは一見するとありえないことだからだ。『源氏物語』という世界最初の大長編小説は、道長というか藤原一族が政治的ライバルとして蹴落とした源氏が怨霊になるのを防ぐために援助したことから生まれたのだという井澤元彦の説明は、たしかに説得力がある。

昨年(2008年)は源氏物語千年紀としていろいろな行事もあり出版物もたくさんあったが、そのなかでこの主張はどのように位置づけられていたのだろうか? 私はやっとこさ第6巻か7巻くらまで読んで、面白くなくてやめてしまったので、とても解説書なんかを読む気力はなかったが、こんな面白い仮説がまったく無視されてしまうとしたら、日本の研究界もおしまいだねって気がする。1008年ていえば、ヨーロッパはまだ文学らしいものはほとんどないに等しい状況だ。あの時代はフィクションというようりも、まだ古事記日本書紀的な民族の成り立ちを描いた叙事詩的なものが主だったわけで、今日にまで通用するようなフィクションとしての小説は、まさに『源氏物語』が最初だった。もちろん中国では(これも井澤が繰り返し述べていたように)小説(フィクション)というものにたいする蔑視があるので話が違うのだろうけど。

たしかにあんな風に、現実ではないといっても、実際に存在する御所を舞台にしたスキャンダラスな話を作ってしまって大丈夫だったのだろうかと思っていたが、なるほどそうすることで政治的に追放された源氏が怨霊化するのを防ぐ狙いがあるとして当時の人々が納得していたのなら、そうかもしれないと理解できる。

もう一つ面白かったのは青島幸男が東京都知事に当選した直後あたりに書かれた第6章で、青島都知事が自衛隊を違憲の団体でいずれは解体すべきだといいつつ、一方では災害時などには自衛隊を使うというような虫のいいことを言っていることを取り上げて、平和主義者の矛盾を追及しているところだ。

それにしても奈良時代から律令制度が国家の制度として定められたにもかかわらず、それが完全に骨抜きにされてしまい、それが何百年と続いたというのはすごいことに思える。律令制度というのは、現代の政治感覚からしても、なかなか立派な制度のように見えるが、それが私利私欲によって骨抜き・虫食いにされていくのは、なんか立派な政治理念では世の中動いていかないということを示している見本のような気がする。

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紀見峠&岩湧の森

2009年02月15日 | 自転車
紀見峠、そして歩いた歩いた岩湧の森

今日はこのあいだ途中まで行って帰ってしまった紀見峠まで行った。このあいだ行ったところのほんの先で紀見峠トンネルと旧道に分かれており、旧道のほうを上がる。だいたいそこまでの上りがあまりたいしたことない道なので、こっちの旧道も楽勝と思っていたら、さすがに峠だけのことはあってけっこうな九十九折れが続く。峠に上がってみると、なんと民家がいっぱい。まぁ峠の茶屋というくらいだから峠に民家があっても別に不思議はないのだが、民家ありすぎ。ここはもと高野街道だったので、まさに茶店でもやっていたのだろか。この峠の村は数学者の岡潔の出身地らしく石碑があった。

周辺案内図を見ていると「腰痛の神様」なる神社があるというのでそこに行ってみる。自転車で上がれないようなところなので自転車を置いて歩いて上がると薄暗い森の中に愛宕神社というのがあって、江戸時代にできて、昭和になってから「腰痛の神様」と呼ばれるようになったらしいのだが、なぜそう呼ばれるのかは説明がなかった。まぁとりあえず「よろしくたのんます」と拝んできた。ここまでは天気もいいし、快調だったのだが...

もう時間も10時半くらいだし、このまま帰ればよかったのに、天見から岩湧寺を越えて滝畑ダムに出るというコースが頭にあって、えいやっと岩湧寺に向かう。これがまたたいへん。まず天見から激坂の連続でやっとピークを越えたと思ったら、また急な下り坂をかなり下りる。しかも昨日一作日の春一番で杉の枝がたくさん落ちており、あぶなくてしょうがない。急な坂は自転車から降りて歩く。

今度は岩湧寺への急登が始まる。これがえんえんと続き、もう岩湧寺の目前で降参。自転車を降りて歩く。寺の周辺は岩湧の森といって夏にはキャンプやバーベキュとかができるように整備されている。むかしはこんなとこなかったんだけどね。この森をずっと歩いた。

やっとピークに達して滝畑ダムへの下りに入ったと思ったら、怖ろしいような急な下り(逆は激坂)で危なくて走れないので歩く。その16%とかの激坂を上がってくるローディーたちがいた。こんな坂を軽々と(本当はしんどいんだろうけど)上がってくるってすごいなと感心して見送る。

岩湧の森についたあたりから腹が減って死にそう。今日は運悪くおやつを何も持ってきていない。今日はやたらとダンシングをしたのだが、ダンシングってががっと急坂でも上がれていいけど、足の筋肉疲労も早いような気がする。やっぱいざって時にごく短めに限定して使うようにしないと、あとが続かない。

やっと滝畑ダムについて、下りばっかりの日野コースに入る。あとは楽勝と思って飛ばそうとしたら、なんか車がゆるゆる走っているのに遭遇。そいつらを追い越そうとしたらその途端、パトカーに拡声器で、「そこの自転車、このパトカーより前に出ないで、まだ交通規制は終わっていないよ」と怒鳴られる。パトカーの後にいる車に聞いたら、河内長野市民マラソンのコースになっていて、最後のランナーがパトカーの前を走っているらしい。さきほど岩湧の森へ上がっていったローディーたちも追いついてきて、のろのろと日野まで下りて、やっと帰宅した。もうへとへと。

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『本当に江戸の浪人は傘張りの内職をしていたのか?』

2009年02月13日 | 人文科学系
山田順子『本当に江戸の浪人は傘張りの内職をしていたのか?』(実業之日本社、2008年)

時代考証家の山田順子さんによる江戸物の第二作なんだけど、やはり一応六つくらいのまとまりで話が書いてあるのだが、たんなる知識の見せびらかし的なつくりになっていて、新しい江戸庶民像を作り出そうとかという意欲というかコンセプトというか、そういうものがまったくないので、読後もまったくなにも残らないしろもの。

まぁなかにはいくつか面白い話もあって、たとえば勝海舟の曾お祖父さんは農民で祖父(つまり息子)ために御家人の身分を買ったらしい。千両(一億円)で最下級の武士の身分が買えたというのだから、御家人の身分を買うといったら、いったいどれくらいの金を曾お祖父さんは積んだのだろうか?勝海舟は御家人になって三代目ということだったわけで、だから幕末においてあのような因習にとらわれない自由な発想で危機を乗り越えることができたのだろうか。幕末になると農民でも金で武士の身分になることができたというのは初めて聞く話だが、まぁフランスでも大金を手にした商人(ブルジョワ)が大金を積んで貴族の身分を買うという法服貴族というのが大量に出現したわけで、そう考えたら別に不思議でもないか。

もう一つ面白いのは歌舞伎役者の話で、よく千両役者という言い方をするが、千両というのはなにもきりがいいからではなくて、実際に売れっ子の役者になるとそれくらいの年収があったということらしい。それくらいの金を出さないといい役者を興行主も雇えなかったらしいから、年間の興行出費はたいへんなもので、したがって芝居を見るのもそうとう金がかかったらしい。江戸三座の年間興行出費は七千両(七億円)くらいという。桟敷で5万円、土間で3万5千円くらいというから、だれでも見れるものではなかったということなのだろうか。しかし江戸の庶民のあいだに歌舞伎役者の人気はすごかったのだから、もっと安く見れる方法もあったのだろう。このあたりのつめがこの本は弱いというのか、まぁ知っていることを見せびらかす式の本なんでしかたないか。

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『バルタザールの遍歴』

2009年02月11日 | 作家サ行
佐藤亜紀『バルタザールの遍歴』(文春文庫、1991年)

第3回ファンタジーノベル大賞を受賞した作品ということだが、だいたいこの賞の受賞作がそうであるように、どこがファンタジー?と首を傾げざるをえない。まぁ主人公が一つの肉体を共有する双子のバルタザールとメルヒオールで、幽体離脱をするということが、まさにファンタジーなんだろう。

ときは20世紀初頭のウィーン。第一次大戦で消滅するハプスブルグ家につらなる貴族の末裔が没落していくのと同時に、ドイツやウィーンは混乱の局地にありヒットラーが台頭する。一つの肉体を共有する双子のバルタザールとメルヒオールは貴族社会の没落にみをあわせるかのように、時代の変化に抗うでもなく生き延びようとするでもなく、だらだらと没落に流されていく。酒におぼれ、愛するマグダに愛するともいえずに、嫌いなシュトゥルツにやってしまい、逃げるようにウィーンを離れて、アフリカに渡るも、ふたりを餌食にしようとするアンドレアスとベルタの兄妹の罠にはまってしまう。ついには...なんかハリウッドの映画にでもなりそうな小説ではある。

しかし1915年にはアインシュタインが一般相対性理論を発表し、同じ頃スイスのジュネーヴ大学ではソシュールが一般言語学の授業でのちに弟子たちによってまとめられるあの有名な講義を行っていたのだ。彼らの伝記を読んで感じられる時代の雰囲気というものが、この小説によって描かれる同じ時代の同じヨーロッパの雰囲気とまるで違うの驚く。この小説のヨーロッパはいったいいつの時代なのだろうと思うような時代がかっているが、自動車にのって買い物に出かけるだとか、飛行機で旅行するなんていう描写を見ると、はやり20世紀のはじめなんだなと納得するのだが。

でもよく考えてみると、フランスでも同じことなんだろう。ちょうど同じ時代にプルーストがあの『失われた時を求めて』を書いて、貴族ブルジョワ的日常生活の終焉を描いていたのだし、映画『タイタニック』も同じ時代で、あのなかで主人公のケイト・ウィンスレット演じるローズはヨーロッパの没落寸前のブルジョワの娘で成金のホックリーに金目当てで結婚させられる。ローズの母親がその没落寸前のブルジョワの雰囲気をみごとに演じていた。この母親のような雰囲気がこの小説の雰囲気でもある。

ウィーンというのがまたそんな退廃的で薄暗い雰囲気をかもし出すところなのだろうか?まぁ退廃的で有名なクリムトなんかが活躍した時代でもあるのだから、そこから推して知るべしか。篠田節子さんの『カノン』にも主人公がウィーンで味わうどん底の絶望的な日々が描かれているけれども、まったく時代が違うとはいえ、共通した暗さがある。

こんな風に見てくると、この小説の退廃的な雰囲気というのは20世紀初頭のヨーロッパに特有のものなんだろうな。

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なんか中途半端なライド

2009年02月09日 | 自転車
なんか中途半端なライド

今日は紀見峠まで行って折り返しに天見から岩湧寺を通って滝畑ダムを経由して帰ってこようかなと思っていたのだが、どうも出だしから腰に違和感があるし、なんかもう一つ気が乗ってこないので、河内長野まで行ったところで、こんな中途半端な気分のときに交通量の多いところを走ってなんかあってもイヤだなと思い、急に変更して石川CLをポタリングすることにした。

最近は石川CLを走るといっても途中から入ったり途中で抜けることが多く、まともに端から端まで走っていないので、まぁ今日はLSDのつもりで行こうかと走り始める。ところが、いつも大和川方向に走るときは全体に少し下りになっているので快適なのに、なんか向かい風が強いし、それも気持ちの問題なのか、なんかしゃきっとしない。天気はいいし、空気もきりりとしまって、ライドにはちょうどいいのにな。最近よく渡っている河南橋をすぎたあたりで、なんかもうしんどくなってきて、引き返すことに。

帰りも河内長野まで行けばきりがいいのにそれも面倒になって、滝谷不動から下りてくる橋を渡って、千代田にでて、裏道を走って帰った。まぁそれでも2時間で約40数Kmか。こういうときもあるんだろうけど、なんか中途半端なライドでした。

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『赤目四十八滝心中未遂』

2009年02月08日 | 作家カ行
車谷長吉『赤目四十八滝心中未遂』(文芸春秋、1998年)

この小説の舞台となっている昭和50年代初めといえば、私なんかは学生の頃である。1970年代の後半というところか。今でこそそんな面影はないが、その頃はまだ大阪駅だって、ターミナル駅特有の猥雑な雰囲気があった。まだ町全体に戦後復興のゆがみが残っているみたいなところがあった。それはそれで味わいがあったのかもしれない。今のようにどこに行っても同じというようなのっぺらぼうなところはなかったから。

この小説の中で主人公は東京のええとこの私立大学を卒業してええとこの会社に勤めていたという設定になっている。一方は私立大学の最高峰を出た男と、ろくに学校も行かずに怪しげなことをして毎日を暮らしている背中に刺青をした女。あんたはこんなところで生きていけへん人やと何度も言われる。竹を割ったようにスパッとしたアヤ子も裏には人に話せないような人生がある。でも腰抜けでええかっこしいの兄のために1000万円の金で博多に売られるのを結局は受け入れる。どんなにしても逃げ切れないと思ったのか、兄がコンクリート埋めにされるのを黙ってはいられなかったのか、はっきりとは書いていないが、話の展開からおのずと見えてくる。

こういういかにも昔の作家という感じのぷんぷんする小説というのはあまり好きではない。まぁ一気に読んでしまったけど。

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『第三の嘘』

2009年02月07日 | 現代フランス小説
アゴタ・クリストフ『第三の嘘』(早川書房、1992年)

A「この小説、面白かった。」
B「そう? でもじつはこれはこういうことだったんだよ。知ってた?」
A「うそ! もしそれを知っていたら、もっと面白かっただろうね。」

私はこういう会話はありだと思う。しかし、

C「あーあ、この小説、わけ分らん。ぜんぜん面白くない。」
D「そう? でもじつはこれはこういうことだったんだよ。知ってた?」
C「うそ! もしそれを知っていたら、面白かっただろうね。」

こんな会話はありえないと思う。つまりなんの説明もなしに面白く思えなかったけど、人から説明を聞いて(解説を読んで)面白くなる、なんてことはありえない。それは小説が面白いのではなく、人の話(解説)が面白いということにすぎないからだ。

『第三の嘘』は後者のケースである。まず、『悪童日記』『ふたりの証拠』とで三部作になっているという話自体が人を馬鹿にしている。しかも同じ三部作と言っても、それぞれ独立に読んでも面白いというのなら話は別だが、『悪童日記』を読んでいなければ、『ふたりの証拠』も『第三の嘘』も話が分らない。というか『第三の嘘』は前二作を読んでいても、チンプンカンプンで、もうめまいがしてきそうなほど訳が分らない。訳者の堀茂樹は解説で「本書を前二作と対照して注意深く読まれる読者には」と書いているが、注意深く読むことを要求するなと言いたいし、もし注意深く読んだ結果としていったいなにが浮かび上がってくるのかと言っても、なにもない。

リュカやクラウスの不幸はいったいどこから由来していたのか? 『第三の嘘』を読む限りでは、両親と双子のリュカとクラウスが幸せに暮らしていたところに、父親が妻と双子を捨てて、アントニアという女のところに行こうとしたことで発狂した妻がピストルで夫を殺したうえに双子の一人のリュカの脊柱に障害を負わせてしまったことが原因であるようにしか読めない。そこには『悪童日記』にあったようなナチスドイツの侵略も戦後にソ連による侵略支配もまったく影を落としていない、というか関係ない出来事として描かれている。

いったい訳者が絶賛する理由がいったいどこにあるのか、私にはさっぱり分らない。『悪童日記』はたしかに面白かった。それはすでに書いたから繰り返さないが、その面白さは、『第三の嘘』の解説に転載されている浅野素女さんによる作者へのインタビューで作者が語っている意図がそのまま実現されていることから来ている。つまり「何食わぬスタイルで人間世界の現実をきびしく暴く辛らつかつ残酷な情景もしくは寸劇を、一貫性のある形でいくつも連続させる」ことを目指し、そのために「語り手――単一の”ぼくら”という意識において一体化している双子の兄弟――が、あらゆる主観性を、あるいは少なくとも、感じやすさのあらゆる痕跡を、情け容赦なく強引に排除し去った小説」を書こうという意図が実現されているから面白かったということなのだ。

しかし残りの二作は、いったい何を書こうとしてるのか、なぜこんな形式をとっているのかもまったく伝わってこないし、物語そのものとしても、どこがいったい「驚愕」なのかと言いたくなるような、陳腐な世界でしかなく、それは解説からもまったく理解できない。

訳者の堀茂樹は第三作の『第三の嘘』で三部作が完結したということになっているが、完結してはないという疑問を感じており、作家の佐藤亜紀が同じことを言っているとか、フランスでもそうした評判が立っているとして、なんか鬼の首でも取ったようなことを書いているが、だからどうだというのだ。

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南河内グリーンロード

2009年02月06日 | 自転車
南河内グリーンロード

国道371号線の千早口、府道長野金剛山線の鳩原、森屋金剛山ロープウェー線の東阪、309号線の水分、大阪府道200号線の持尾、そして最終的に166号線(竹内街道)にでる、いわば大阪府の南側から東側の山々、要するに金剛山や大和葛城山そして二上山の大阪側の麓をぐるーっと回ってくるような位置にある大阪府道を南河内グリーンロードと呼んでいるらしい。らしいどころか、そういう標識もあるので、そういうことになっているのだ。今日はそれをぐるーっと走ってきた。

371号線の旧道と南海電車の旧線跡が遊歩道となっている道を通って千早口まで行った。これはこの前逆方向に走った道なので、すいすいと。ここから南河内グリーンロードに入る。実はこれもこの前逆方向に走った道なので、かなりの坂が続くけれども、道はいいし、交通量はほとんどないので、元気に走って、鳩原へ。

金剛山に行くときよく通る道なので、どこにそんな道があるのかなときょろきょろしながら探していると、あった。急な坂が分岐している。そこをまたえっちらおっちら上がる。ここも道はいいし、天気もいいし、いい気持ちで走る。さらに走って、富田林から金剛山にあがる金剛バスの路線である道にでる。そしてこれをしばらく下ってから、国道309号線の水分に抜ける広域農道に入る。ここもちょっと上がっただけで、あとはずっと下り。しかもほとんど車は来ないし、道はいい。だがるんるん気分はここまでだった。

水分に出てから、しばらく上がると、大阪府道200号線がある。これが激坂。もうダウンシングしないと上がれない。やっと上がりきったと思ったら、まったく眺望がない。そして今度は急な下り。上河内という村に下りてくるのだが、四十折で道も狭いしおもしろくもなんともない道。しばらく下りて下河内で広域農道に入る。ここがまた面白くない。ダンプが何台も走り、まるでダンプ街道。それもおわって、持尾というところまで来ると、すばらしい眺望。南は近大病院から堺東のツインタワー(JR堺駅前にあるタワー)までよく見える。うちの最寄り駅にあるビル群も見えるではないか。しばらく休憩をする。

あとは下り一方で竹内街道まで出て、この前も走った河南橋を渡って、帰ってきた。途中で、叡福寺に聖徳太子廟というのがあり、ちょっと見物した。この廟は井澤元彦も書いているが、聖徳太子と妃の膳部大郎女(かしわべのおおいらつめ)、穴穂部間人(あなほべのはしひと)王后の三人をこの廟に合葬していると言う意味で変わったところだ。そのあたりのことを井澤元彦は聖徳太子たちが自殺をしたから、通常おこなう大規模な墳墓を作る時間がなく、また太子が怨霊となる前に埋葬しなければならなかったことなどを挙げている。いくらチェーンをつけているとはいえ、ロードバイクをあまり長時間ほったらかしにもできないので、ちょっと見物してから帰ってきた。(左の写真にある中央の森の中に聖徳太子廟がある)

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『フランス家族事情』

2009年02月04日 | 評論
浅野素女『フランス家族事情』(岩波新書、1995年)

実際に結婚をして子育てを経験したのなら、自分自身の経験や出産子育てを通して知り合った友人たちの経験からおよその家族事情とか男女の問題なんかは書けるじゃないかと思いがちだが、意外と自分の経験から見える世界というのは限られたもので、統計的数字などどうにでも解釈ができるものであることを考えれば、実際に私たちが生きてきた1960年代から現代までの家族のあり方や男女のあり方をできるだけ時代の変化にそくして記述するというのは難しいということに気づく。自分が生まれ育った国のそうした事情でさえも記述が難しいのに、成人してから移住して生活するようになった外国の事情をコンパクトにまとめるのは、さらに輪をかけて難しいと思うのだが、この本はそれを上手にこなしている。読みやすいので、さらっと書いたようにみえるけれども、けっこう優れた本だと思う。

著者によれば、フランスの男女問題や家族問題を考える上でも、一つの大きな転機になったのが、1968年の「5月革命」だとされる。レジスタンスの英雄で第五共和制下でフランスの発展を導いた国家の「父」であったド・ゴールに象徴されるようなカトリックの国フランスの家父長的で男性優位の社会が揺さぶられることになる。

「五月革命は、この「父」に対して「ノン」を突きっけ、この「父」から派生するすべてのシステムと、人々の自由な発想を縛っていた当時の社会モラルを打ち砕こうとした動きだった。」(本書106ページ)

1789年のフランス革命が国家という器をひっくり返した革命であったのにたいして、1968年の5月革命は社会のモラルをひっくり返した革命であったとも指摘している。その結果、1975年には中絶が合法化され、ピルの全面解禁とともに、女性が子どもを産む・産まないの自由が保障されることになり、民法が改正され、協議離婚が認められるようになったこともあいまって、女性は自分の自由を謳歌し、自分中心に物事を見るようになった。

そうした女性の社会解放を社会も応援するようになり、フランスでは少子化対策としてもどんな状況で生まれても子育てに困ることがないような施策が取られ、婚姻制度そのものが意味をなさないような家族が増加する。結婚する場合でも同棲期間をもつのが当たり前になり、結婚ではなく自由な結びつきによって男女関係を維持する同棲関係(コアビタシオン)が増えている。また離婚も増大しているが、同棲関係の場合には統計上の数字に表れないので、実際にカップルの「離婚」は相当な比率になっている。

日本では想像もつかないような自由な男女関係というか家族関係がフランスで成り立っていけるのは、思うに、日本でいう戸籍法にあたる身分証明の仕方がまったく異なっていることにあると思う。これはフランス革命によって国家がまったく平等で対等な個人の集まりとしての国家というものを作り出したことに起因していると思うのだが、フランスでは出生証明が基本だが、これには母親と認知した父親の姓名が記入されるだけで、それ以外の情報は一切ないらしい。だから、代わりに家族手帳というものがあるらしいのだが、これだって、正式に結婚した夫婦の家族だけに発行されるわけではなくて、行政上の必要から結婚していないが事実婚としてやっている家族の場合にも発行されるらしい。だからといって日本のように戸籍筆頭者にようなものはない。

なにもフランスが先進的で日本は遅れているなんて言うつもりはないのだが、子どものためとか言って我慢に我慢を重ねてきて、子どもが独立した頃に、いわゆる熟年離婚がどっと発生するという事態は、日本の子育て環境や労働環境がけっして女性にとって生きやすいものではないということを物語っているように思う。

たしかにフランスでは女性解放運動の「行きすぎ」か男性というか父親の存在が薄くなってしまったその揺り戻しが1990年代にはあったというから、日本でも似たような父権の弱体化に傾斜しつつあるのは、女性が強くなったからなのかとも思うが、日本では公の場できちんと議論されない分、陰にこもる傾向があるので、へんに歪んだ形で現れるのが怖い。

『パリ20区の素顔』がどちらかと言えば軽い書き物だったので、これもそんなものかなと思っていたが、どうしてどうして、けっこうしっかりした、いい本でした。

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