読書な日々

読書をはじめとする日々の雑感

『桜庭一樹読書日記』

2009年02月18日 | 作家サ行
桜庭一樹『桜庭一樹読書日記』(東京創元社、2007年)

同郷の作家なのに(しかも同じ高校の出身、といっても一回りくらい年齢が違うから当たり前だけど)、存在さえも知らなかっただけに、そんな作家がいるのかと昨年の直木賞をきっかけに知ったときには、多少ともうれしかったのを覚えている。しかも、この読書日記を読むと、最近でもちょこちょこ紅緑村の両親のところに滞在して、あのI書店なんかに出入りして、大量の本を買っているなんて。

私も高校生の頃にボート部の連中の影響で「ブンガク」なるものに目覚めたというような話はすでに書いたと思うのだが、それ以来、学校からの帰り道とか休日とかに、いまは寂れてしまった商店街の一角にあるI書店に通うように出入りしては、小説などを買い求めていた。ここで、三島由紀夫の「豊饒の海」とか「奔馬」とか、あるいは「廃市」(これは三島ではなくて、えーっと福永武彦)などを買おうかどうしようかさんざん悩んだ思い出がある。この読書日記を読んでいると高校生とか中学生とかの彼女も同じだったんだね。まぁ金がないからみんな同じようなもんだろうけど。(右の絵は出身高校の校章。二枚の柏葉がロゴスとパトスを表すってことになってます。なかなかしゃれているでしょ。)

自分の読書日記にひとの読書日記の感想を書くのも変な話なのだが、桜庭一樹がどんな本をほめているのかにはあまり関心はない。それよりも彼女自身がこの読書日記にも書いているように、自分の好みだけで本を選択して読んでいると、世界が狭くなってしまうという恐怖感があるのだ。だから、彼女の場合は編集担当者とかインタビュワーなどにどんな本が好きかを聞いて、自分の知らない分野の本を開拓しているのだが、私も同じ目的でこれを読もうと思って、それはそれでまったく知らない世界の本がほとんどだったので、面白かった。なかにはアメリー・ノトンとかアゴタ・クリストフとかも出てきて、そういう場合にはどんな感想を書いているか興味津々ではあったのだが。

それと、ちょうど彼女が『赤朽葉家の伝説』や『私の男』を書いていた時期のことも少々かかれていたのが面白かった。やっぱ、『赤朽葉家の伝説』は紅緑村が舞台だから、そこに滞在したほうが書きやすかったのだろうね。いざって時に資料なんかも手に入れやすいだろうし、いったいどのあたりをイメージしているのかはよく分からないけど、現場に行ってみたり。たぶんNHKの「だんだん」の後だったら、もっと方言を取り入れたんだろうけど。

『私の男』って本はまだ読んでいないが、たぶん主人公の立場に自分を置くための作業として、あんな風に一切の読書を絶ってDVDを見たり音楽を聴いて小説の世界に入り込むことが必要だったのでしょうね。そのために一週間くらいその世界に没頭して痩せてしまうくらいというのは、さすがプロって感じ。そうやって小説のための世界が出来上がれば、一回分の量が書けたら、そこから抜け出て、また連載締め切りの前にそこに入ればいいという安心感ができて、他の作業をすることができるというのは、みんな作家さんってやっていることなんでしょうか?彼女一人の作法だとしても面白い。

それにしてもこの人の読書量ってすごい。そうとうの速読派みたいで、昼前に起きて夕方まで仕事して、それからふらふらと本屋に行って大量の本を買い込んで、晩飯食ってから夜更けまで読んで寝るということを繰り返しているようだけど、まぁこの読書日記を読んでいると、一晩に一冊のスピードで読んでいるのかと勘違いしそうになるが、日付が書いてないから実際にはそんなことはないのでしょうね。しかし、まぁすごい。それはそうと、ミステリーってそんなに面白いのでしょうか。エラリー・クイーンを高校生のころに読んでいたくらいで、ほとんど知らないのだけど。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする