読書な日々

読書をはじめとする日々の雑感

『サクリファイス』

2009年02月26日 | 作家カ行
近藤史恵『サクリファイス』(新潮社、2007年)

棚からぼた餅? 瓢箪から駒? この小説はたしか桜庭一樹が取り上げていたので図書館に予約したのだったと思う。だからきっとこの「サクリファイス」というタイトルからもきっと凄惨なミステリーなのだろうと思っていたのだが、表紙の写真を見て、あれ、ロードレースを描いた小説?と思い、ページをちょっとめくってみたら、あれあれ自転車乗りのことを書いた小説じゃないか。やっぱ自分がいま関心を持っているスポーツのことを描いた小説だとあっという間に読んでしまった。私は最近では夜に寝る前にベッドの中でしばらく本を読むのだが、たいていは薬を使わない睡眠導入剤となっており、すぐに眠くなるのだが、昨夜は読み終わるまで眠くならなかった。

いわゆるスポ根ものではないし、成功物語でもない(ちょっとその気があるかな)。高校まで陸上の中距離選手をしていた白石誓はインターハイで優勝しオリンピックも狙えると有望視されていたにもかかわらず、たまたまテレビで観たツール・ド・フランスのゴールシーンに触発されて陸上推薦で決まっていた大学をけって自転車の強い大学に入学し、それいらい一貫して自転車の世界につかってきた。いまは実業団のチーム・オッジに所属する。

彼が陸上を捨てたのは、香乃という付き合っていた女性から差し向けられた「私のために勝って」という激励の言葉がプレッシャーになったこと、そしてもなによりもどんなことがあっても一位にならなければならないというプレッシャーが嫌になったことだ。自由に走りたい、その結果できれば一位になれればいいが、そのために走るというのは嫌だという気持ちがぬぐいきれなくなったということ。ところが自転車のレースは個人競技とはいえ、実際にはチームのレースで、チームのエースのためにアシストは競技者としてのレコードを犠牲にしなければならない。エースのために先頭を引っ張って他チームの選手を引き離し、最後にエースが独走するところまでで力尽きて自分は最下位になってもよしとしなければならない。誓はそこに惹かれたのだった。レコードは残らないがそれで賞金は均等配分でもらえるし、アシストとしての評価も高まるのだ。そういう、ちょっと他の競技では理解できない自転車独特のものの考え方を教えてくれる小説でもある。

ロードバイクを始めてまだ1年にもならない私の場合も、じつはこれを読むまでチーム競技だという意味がよく分かっていなかった。なんで一人のためにほかのチームメートが自分を犠牲にしなきゃいけないのかな、もっとシビアに、もっとクールにものごとを考えてもいいんじゃないのかなと思っていたけれども、たしかにレコードとしてはアシストたちのレコードはなにも残らないが、そうすることでエースにはそれなりの重荷が課せられるのだということ、またその重荷を実直に担っていける人間でないとエースにはなれないということも分ってきた。

この小説では、チーム・オッジのエースである石毛が最後の章でレース中に事故死するまで、自分がエースに居残るためにはチーム内のライバルを事故にあわせて選手生命をだめにしても平気でいる強欲な奴と読者に思わせ、それと同時に同室する主人公の白石誓に石毛のレースに対する愚直なまでの真摯さを見せることで微妙なバランスをとって、読者の早急な判断を抑えて抑えて最後まで引っ張ってくるというしくみになっている。また同期の伊庭に石毛とは対極にあるものの考え方――レースはチームためにするものではなく自分のためにするものという考え方――をする若手を演じさせることで、これまた微妙なバランスをつくりあげていた。読者はきっと伊庭や事故で選手生命を絶たれた袴田のほうへ傾きを強めながらも、ときには石毛にも揺れをもどすというようなバランスで読んでいたはずである。

だが最後のどんでん返しで、なぜ石毛が袴田の選手生命を奪っても平気で競技を続けていたのか、競技中に観戦していた袴田からなにか言われた石毛がなぜ事故死に見せかけてまで自殺して競技を中断させようとしたのか、そしてそれはいったい石毛のどのようなものの考え方(もちろんロードレーサーとしての信念)から発したものなのかが解き明かされることで、自転車レースというものの面白さを読者に教えてくれるようになっている。

近藤史恵という作家がなぜこんな小説を書こうという気になったのか、ロードバイクとどんな関わりを持っているのか知りたいなと思う。あちこちのブログなどを見ていたら、2008年度の本屋大賞の第2位だったらしい。あったあった。Cycling Peopleというサイトで彼女へのインタビューが載っていた。

「サイクリングタイム」でのインタビュー記事

「ロードレースをリアル観戦したこともなく、ロードバイクにも乗ったことはない」という人らしい。それでもなぜこんな小説を書こうと思ったのだろう。ジロが好きな人のようで、テレビで何度も観戦しているうちに今回の小説のストーリーが浮かんだのだと言う。しかも選手にインタビューとかはまったくしないし、取材旅行もまったくなしで、すべて想像力で作り上げたというから、すごい。実際に経験していないと分らないようなところ(空気抵抗だとか、選手同士の駆け引きだとか)は、テレビの解説を聞いているうちに理解できるようになったというから、よほどロードレースが好きな人なのだろう。

続編の予告もあって、こんどはツール・ド・フランスが舞台らしい。楽しみ!

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