読書な日々

読書をはじめとする日々の雑感

「川の名前」

2006年12月24日 | 作家カ行
川端裕人『川の名前』(早川書房、2004年)

子どもの頃は「カワガキ」だったことは確かだ。春や秋は魚釣りに出かけたし、夏は水泳や魚とりに毎日のように出かけた。

村の前で川が二つに分かれているので、日替わりで板井原川と真住川のどちらかを上がるのだ。竹の先にヤスをつけ、竹の反対側には自転車のタイヤのゴムを切ったものをつけて、動力とする。水中眼鏡で大きな岩の下などを覗き込んで、はえやうぐいを刺してとるのだ。そんなことをしながらずっと上流まで上がっていき、隣村に入ったくらいのところにたいてい淵があったりするので、そこでちょっと飛込みをしたりして遊んでから、国道に上がって歩いて帰る。

たぶん最初は上級生に連れられて行っていたのだと思うが、そのうち同じ学年や気のあったものだけで行くようになる。たぶんそうやって次から次へとそうした遊び方が伝承されてきたのだろう。昔はきっとそれで取れた魚をさばいて夕食にでもあげていたのだろうが、私が小学生の頃にはさすがにそこまでしなければならないような食糧不足でもなかったから、家で食べるということはなかった。帰りにハンザメ(オオサンショウウオ)を飼っている家があるので、そこに投げ入れてやるのだ。

この小説風に川の名前で言えば、日野川、板井原川、真住川ということになるだろうか。渓流釣をするところまで上流ではないので、さすがにイワナとかはいない。蛇が出てきて肝を冷やすとか、たまにハンザメがいてパニックになってしまうということがあったが、国道から離れると周りにはなにもなくて、大きな岩の上で日向ぼっこをしたりするときには別世界のような気分になる。

うちの子どもがまだ小さかった頃にこうした川遊びをさせてやりたいと思い、夏休みに東吉野のほうへキャンプに行ったことがあるが、水が冷たくて長いあいだ水に浸かっていることができないくらいだった。やはり川遊びができる地域というのがあるのだろう。水が冷たすぎてもダメ、あまり川幅が広すぎて水量も多すぎるのもダメ、こどもの膝上くらいが普通で、時に頭が浸かるくらいの深さの淵もある、周囲はほとんど竹やぶで、ところどころに大きな岩が転がっていてスリルに富んでいる、そういうところでないと、子どもの遊び場にはならないのかもしれない。そういう点では私たちは恵まれていたのだろう。

一見するとどぶ川のような桜川での一夏の冒険を描いたのが、この小説である。小学5年生の菊野脩、ゴム丸こと亀丸拓哉、河童こと河邑浩童は夏休みの自由研究の課題に、たまたま見つけたペンギンのつがいと、彼らが育てている卵の観察にあてることになる。この周辺の水域や生き物のことを前年の自由研究で手がけた河童は最初だけ彼に手助けをして、あとは川岸にうもれていたカヌーの修復を課題にした。

無事に雛がかえって、夏休みも終わりに近づいた頃、親ペンギンのパペンが下流で餌取りをしているところが人々の注目を集め、ついには鳳凰池にペンギンが営巣していることも知られてしまい、「やらせ」で有名なディレクターが作る番組に取り上げられそうになったとき、脩たちは雛を知人の水族館員の鈴木さんに引き取ってもらうべく、河童が修理したカヌーにのって雨台風で増水した桜川・野川・多摩川を下っていく。何度かの難所をこえて、水族館がある河口までやってきたところで水族館のボートに収容される。

こういう子どもたちの冒険話に彼らの人間としての成長物語までがセットされ、なかなか面白い作品になっている。

かつて私が住んでいた地域の川である日野川ではいかだを組んで河口まで下っていくというイヴェントもあるそうだ。まだまだ川の水がきれいだからできるイヴェントなのだろうし、一度参加してみたいものだな。

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