読書な日々

読書をはじめとする日々の雑感

「魔笛」

2006年12月26日 | 作家ナ行
野沢尚『魔笛』(講談社、2002年)

なんだか恐ろしいものを読んだという印象で、暗澹たる気持ちになる。ラストで同時進行する複数の殺戮の場面がおどろおどろしいというだけでなく、このテロ活動をする新興宗教の、あるいは公安の人間の異常なまでの精神的集中が、人間をここまで駆り立てるのかをいう恐怖感を読むものに感じさせる。たんなるサスペンスの域を越えた人間本質の恐ろしさを見せつけ、読者に考えさせる小説だと言ってもいいのではないだろうか。

この小説はいくつかの人間関係が最後に一つに収斂するような作りになっているので、最初は人間関係がよくわからないところがあるのだが、読みすすめていくうちにそれも解けてくる。

一つは、多額の保険金をかけられて、夫から殺されそうになり、またその口実に娘を瀕死状態になるまでにされた安住籐子と彼女を担当した刑事の鳴尾の関係。彼女の取調べをするうちに、一度は自分の娘にあまりのストレスのために思わず暴力をふるったことで自分を責めつづける籐子にたいして愛情を抱くようになり、娘が死ぬと全てを自白して刑務所に送られた彼女に何度も面会して彼女と結婚することになる。そして自らが犯罪を犯したことで犯罪者の心理が分かる籐子に鳴尾はアドバイスを受ける。

次は、オウム真理教を思わせるメシア神道なる新興教団の内部に入り込んだ公安のスパイである照屋礼子である。沖縄で大学まで過ごした彼女は小学生のときに友人を殺し米兵のレイプ殺人に見せかけたことがある。大学を卒業してしばらく後に警察に入り公安に配属されてメシア神道にスパイとして入り込む。教団がテロを計画していることを掴み上層部に連絡したが、上層部は公安の存在感を高めるためにこれを黙殺した結果、官庁爆破事件が起きて、多数の死傷者をだした。その頃から彼女は公安との連絡を絶ち、教団が手に入れていたプラスチック爆弾をもって教団からも逃走した。そして渋谷交差点での爆弾テロを起す。

もう一つは、かつての礼子の上司であった警察庁警備局の阿南課長と鳴尾や照屋礼子との関係である。阿南が照屋礼子を公安のために利用してきたことは鳴尾の掴むところとなり、阿南はなんとかして照屋礼子をうやむやのうちに殺害しようとする。鳴尾はあれこれ理由をつけられて捜査から外される。

しかし最後に鳴尾が照屋を探し出し、爆弾処理班の若者と協力して爆弾を解除し、照屋を阿南の前に連れ出す。

一方、籐子は照屋が送り込んだ女によって殺されそうになる。剃刀を武器にしたそのもみ合いの描写は恐ろしい。まるで血まみれの悪夢を見ているような恐怖感がある。

公安というものが反社会的な団体を監視することを任務とするといいながら、じつはいかに反社会的な団体であるかを如実に明らかにしているところも、また宗教法人法がいかに日本社会のなかで利権の温床となっているかを示した点でも、じつに意義のあるサスペンスだと思う。かつての松本清張なんかとはちがうが、新しい時代の社会的サスペンスと言ってもいいのではないかと思う。

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