読書な日々

読書をはじめとする日々の雑感

「パリ歴史探偵術」

2006年12月17日 | 人文科学系
宮下志朗『パリ歴史探偵術』(講談社現代新書1610、2002年)

中世のパリの様子から話が始まるのだが、そこに掲載された「フィリップ・オーギュストの城壁」というのを見ていると、「あれ、これって私がもっている1575年の地図の城壁と同じだなー」ということに気づき、読み進んでいくと、この城壁がずっと18世紀の終わりあたりに、あらたに徴税請負人の壁というのがもっと外側にできるまでの城壁だったようだ。筆者は同じ時期に出版された、もっと詳細な「バーゼルのパリ図」というのを参照しながら、現在に残る、その当時の城壁の跡だとか、街の名前の名残だとかを説明してくれるのだが、なかなか面白い。私も凱旋門のみやげ物屋でかった地図を見ながら、読んでいったので、なるほどなるほどと感心するところがたくさんあった。

たとえば地図でみてもはっきりと分かるのだが、当時の左岸(つまりソルボンヌのある方)は右岸に比べると小さい。半分くらいしかない。というのも当時の左岸は大学の町であって、一般庶民や商人・貴族などが住んでいたところではなかったからだということだ。なるほど。私の地図でも「ソルボンヌ通り」というのがあったりするから、このあたりが大学になっていたのだろう。またサン・ジェルマン・デプレ教会なんかは城壁の外にある。

また筆者の説明によると、「バーゼルのパリ図」には城壁の外に処刑のイラストが書いてあって、処刑場を示しているということだが、私の地図では右岸のモベール広場に同様の処刑のイラストが書いてある。こんな街中でもやっていたのだろうか?

次にパサージュ(商店街)のことに話が移るのだが、これも私には興味深かった。というのは筆者が筆頭に取り上げているパッサージュ・ショワズールのことは私もよく知っているからだ。このパサージュはオペラ座通りや昔の国立国会図書館の近くにあって、入ってすぐのところに日本語が使えるインターネット・カフェがあるのでよく行ったのだ。このインターネット・カフェは、この本ではかつてランボーとヴェルレーヌの掛け橋となった『高踏派詩集』の版元のアルフォンス・ルメール書店のとなりに位置する。もちろん今はこの書店はどこにでもあるような古本屋になっているが。このパサージュには中華料理のお惣菜屋があったり、ピザ屋があったりして、よく食事をした。私なんかからみると雨の日でもぬれないですむし、もっとにぎわってもいいと思うのだが、どうもフランス人はこういうところがあまり好きではないようで、行くたびに寂れていく感じがする。

ただこの界隈はオペラ座に近いこともあってか、日本人向けの店(ラーメン屋・すし屋・ブックオフのパリ店、日本の食材屋)が多く、なにかと便利なので、よくこのあたりのホテルに泊まった。

19世紀のパリ観光ガイドをもとにして19世紀のホテル・馬車・レストランなどの話がしばらく続いたあと、おお!と喜んだのは、公衆トイレの話が一章をとってかかれていたからだ。いやー、宮下さんもトイレが近くて、いろいろ苦労なさったとは、なんだか親近感がわいてきましたね。

「パリの街をそぞろ歩きしていても、われわれはトイレのことを気にしていないといけない」そうそう! 「日本の都会なら、デパートやファッションビルに駆け込めば、清潔なトイレがある、駅にだってたいていトイレがあるのに、パリの場合はトイレがない」という記述にも、そうそう!とうなづいた。そして宮下さんが学生の研修旅行の付き添いとして貸切バスに乗ったとき、バスのなかにトイレがあるのに、運転手が使わせてくれなかったことに腹を立てていらっしゃるが、本当にごもっとも!である。私も今年の夏にモンサンミシェルのバスツアーで同じ目にあったのだ。せっかくトイレつきのバスだとおもって安心していたのに、使えなかった。トイレ休憩では長蛇の列。本当にひどい!

宮下さんは、もちろん学者であるから、それだけで終わらせないで、革命以前の様子からの変化について詳細に説明してくださる。そしてなぜフランス語ではトイレをles toilettesと複数形で使うのかということについても説明しておられる。それによると、トイレなどという恥ずかしいものをはばかる気持ちが(日本でも「はばかり」などと呼ぶ)単数形によって直截な言い方で呼ぶことをためらわせ、複数形にすることで特定化を避けているのだということだそうだ。他の言語でもレストルームと言ったりして直接的な表現を避けるのと同じことだろうという。へぇー、そうなんだ!

と、まぁ、こんな感じで、いろいろためになる本でした。

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