読書な日々

読書をはじめとする日々の雑感

「しゃばけ」

2006年12月15日 | 作家ハ行
畠中恵『しゃばけ』(新潮社、2001年)

第13回日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞した作品らしい。もともと漫画家志望で、88年にマンガ雑誌でデビューしていこう、最近になって作家をめざしていたらしい。

江戸時代の大店の若だんなを主人公だが、じつは妖(あやかし)の血筋で、祖父や父親は人間だが祖母や母親が妖怪で、祖父の遺言で腕っ節のいい妖怪の犬神と白沢が若だんなの一太郎を守るために手代としてはっている。

一太郎が自分には兄の松太郎がいることを知って、夜中に一人で会いに出かけた帰りに、人殺しにばったり遭遇してしまったことから、命を狙われるようになる。じつは年季の入った墨壺(大工道具の一つ)がつくも神になりかけていたのに、この墨壺の持ち主だった大工の棟梁を殺して墨壺を奪った男がこの墨壺を壊してしまったために、つくも神になれないで恨みをもった墨壺の妖怪が人にのり移って、魂を取り戻すことができるという(生き返ることができるという)返魂香をもとめて、薬種問屋を襲っていたのだった。

連続殺人の事の次第がおぼろげながら分かってきつつあった頃、見越しの入道というえらい妖怪がやってきて、一太郎に祖父母や父母のことを話して聞かせ、もし一太郎が自分でなんとか決着を着けることができないのなら、一太郎はダキニ天様に仕えている祖母のもとへ送り返すという話になっていることを伝える。一太郎はじぶんで決着をつける決心をする。

墨壺の妖怪は松太郎が住む界隈に大火事を起して一太郎をおびき寄せる。二人の手代が火柱に囲まれて動きが取れなくなったとき、意を決した一太郎は護符で妖怪を人間から引き出して殺してしまう。死んだと思っていた兄の松太郎もじつは生きていたことが分かり、一件落着する。

時代小説ってあまり好きじゃないのと、言葉が読みにくくて最初は難儀をしたが、だんだん慣れてくると面白くなってきた。

なんか作品の雰囲気に心地よいものを感じる。いったいこの心地よさはなんだろうと自分なりに反省してみると、上下関係のはっきりした人間関係(妖怪関係というべきか)にあるのかなと思う。自分を犠牲にして一太郎の魂を生き返らせた祖父母(とくに人間だった祖父)の命によってつねに一太郎を護衛する二人の手代、彼らはけっして一太郎を主人といいながらも一太郎の言いなりになっているわけではないが、主従関係ははっきりしている。これってまるっきり水戸黄門の世界じゃないかということに気づいた。鳴家(やなり)だとか屏風の妖怪だとかにも主従関係というか上下関係がはっきりとあって、それを守ることによって生じる暖かな雰囲気、ほのぼのとした雰囲気、滑稽さなどがこの作品の、ファンタジー感を強めていることはたしかだ。

だがそれって黄門様が印籠でもってあらゆる城主やら藩の重役やらを這いつくばらせるように、でも黄門様と二人の護衛の関係も上限関係あっての和やかさであり、そういうことを考えると、上下関係や支配被支配関係を前提としたところに和やかさを感じる自分の感性というものにたいして、不信感を覚えるのだ。

かつて宮崎駿のアニメにたいして、どうしていつもお姫様ばかりが主人公なのか、戦争で簡単に殺されてしまう人たちのことをどう思っているのかという批判をする人がいるということをどこかで読んだことがあるが、一理あるかもしれない。

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