読書な日々

読書をはじめとする日々の雑感

「夏の魔法」

2006年12月11日 | 作家マ行
本岡類『夏の魔法』(新潮社、2005年)

長らくサスペンス物の小説を書いてきたが50歳を超えてはじめてミステリーから離れることを決意して書いた第一作目と奥付に説明が書いてある。長年サスペンスを書いてきただけあって、じつにこなれた読みやすい文章になっている。

野球の試合中に相手バッターの顔面にデッドボールをあてたことで試合には大負けし、クラスメートや相手校の生徒たちからの冷たい対応のために二年間ものあいだ引きこもりになっていた悠平が、愛人を作ったために離婚して一人で牛牧場を経営している父の高峰のもとで夏から夏へと過ごして立ち直っていった一年間を描いた小説である。

かつて学生時代に私の友人も大山山麓の農家の息子だったこともあって大学一年生の夏休みに北海道の牧場にひと月間のアルバイトに出かけたことがあった。当時、私は大阪に住んでいたので、大阪から札幌まで走っていた夜行列車で行くその友人が、うちで一泊していったのだった。この友人とは高校時代にはクラブも違うし、それほど親しい仲ではなかったが、二人だけが三年間同じクラスだったということで、高校卒業前の受験の直前になって何故か親しくなり、学生になってからも手紙のやり取りをしたりしていたのだった。北海道から絵葉書だとかをくれたが、そこに労働の日々の面白さが書かれていた。私自身は当時はそういうことにまったく興味がなく、なんか鬱々としてたように思う。

一昨年・昨年と、夏にかみさんと北海道旅行をした。一昨年は函館から小樽へ、昨年は知床から帯広のほうへ。とくに知床への旅行ではあちこちに牧場があったが、日本では北海道くらいでしか牛の放牧が成り立つところがないということを、この小説ではじめて知った。

さて、二年間も引きこもりをしていた悠平が高峰のところにやってくるが、最初はまともに挨拶もできない、自分から言い出したことなのに、朝起きて牛の世話をすることも出来ない、そういう状態から、それに苛立つ高峰と何度か衝突しながらも、牧場がもつ魔法のおかげで、徐々にやる気と持久力をつけていく様子が、生き生きと書かれている。

圧巻は、いくつかあるが、その一つが、悠平がはじめて搾乳をしようとしたときに、緊張した牛の糞尿を体に浴びてしまう場面だと思う。まさかそんなことがあるとは思わなかったが、たしかにだれだって知らない人に搾乳なんかされたりすれば、緊張してウンチやおしっこをもらしてしまうだろう。そういうものが染み付いて初めて、牛舎の匂いなんかも気にならなくなるのだろう。

第二がなんといっても「エンジェル」を連れて大逃亡をしでかしたことだろう。知らないお婆さんの一人住まいの家に上がってご飯をご馳走になり、そのお礼に雨戸を修理してあげたりしたことや、増水して中州に取り残された少年を助けたことによって、人に感謝されることを体験すると同時に、自分の早とちりで大事な「エンジェル」を死なせてしまったことが、悠平に人間としての大きなプラスとマイナスを与えるが、それは悠平が人間として成長するためにどうしても必要なことだったのだろう。

随所に「逃げるな、目を逸らすな」というメッセージが描きこまれている。こういうドラマや小説を読んでいるぶんには、これらのメッセージはなんでもないこと、だれだってできるように思えるかもしれないが、今の自分にはそれがずしりと重いメッセージとしてのしかかっている。私も逃げてばかりではいけないなと思う。たしかに今の自分には先が見えないけれども、また逃げないで進んだとしても、自分の思い通りのことになるとは限らないことが分かっている。でもやはり逃げてはいけない。そういう思いを感じながら読んだのだった。

たしかに、そんな風にはうまく行かないよというような話の展開もあるが、いいじゃないか。読むことで元気になるような小説も大事だよ、と思う。

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