読書な日々

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映画『武士の家計簿』

2013年01月14日 | 映画
『武士の家計簿』(森田芳光監督、2010年)

2日ほど前に森田芳光監督の『武士の家計簿』を見た。森田芳光監督といえば、最近流行りのお涙頂戴映画とか感動させる映画とかと一線を画する、どちらかと言えば、淡々と、あるいは粛々と事実をなぞっていくことで、その手法と描かれている出来事の異常さとのズレに、見るものの様々な反応を誘い出すことを得意とする監督だ。彼を有名にした『家族ゲーム』がまさにそれで、こうした手法はこの作品にはバッチリだったが、いつでもそれでうまくいくわけでもなく、『それから』とか『ウォホッホ探検隊』とかけっこう見ているが、私はどちらかと言えばあまり好きな監督ではない。

しかしこの『武士の家計簿』はまったく違和感なく見れた。彼の得意とする淡々とした描写が、『家族ゲーム』みたいに、猪山家の質素な生活を逆に浮き彫りにしてみせる効果があったし、もしこれがセカチュウみたいな「涙なしには見れない」的な作り方(最近こういうのが多いので辟易する)になっていたら、つまらない作ひんになっただろう。

最近原作を読んだばかりなので、よけい興味深かった。猪山家が足軽程度の低い身分から直接加賀藩当主のそばでお言葉をもらってそれを筆記するような重要な仕事を任されるような序列にまで立身出世する過程を描くことは難しいので、それがまったく無視されていたのも、脚本としてはよかった。主に描かれていた日常生活、とくに家産が没落しかねないほどの借金があることが分かって、直之が直々に指揮をとって、借金返済のために、家の中のめぼしいものを、オババ様を始め、両親のものも、自分たち夫婦のものも古道具屋や仕立物や家具屋に売り払う場面から入るという、私がつねづね言っている、映画はつかみが大事というのを、セオリーどおりにやっているところも好感が持てる。

作品を面白くしていた点はいくつかあるが、その一つを挙げると、これは原作になかったので、脚本家が考えたのか監督が思いついたのか、私は原作者の磯田が示唆したのではないかと思うのだが、直之の息子の成行が5歳(だと思うのだが)になってしばらくしてから、息子にそろばんや習字の手習いを始めさせ、さらにしばらくしてから、今度はその実践編として、家の支出(主に日常の野菜や魚や米など)を帳面につける役割を成行にさせたところだ。それを描くことで当時に日常生活の様子がけっこうリアルに描写されている。そして自分たちの今の身分はご先祖さまが少しづつ階段をのぼるようにして作り上げてきたものだ、今の自分達はご先祖さまあっての自分たちだということを分からせる。

磯田がBS歴史館で言っていた「元禄から昭和まではひとつづき」ということを森田芳光監督も念頭に置いて作っていたのだと思う。直之やその父が出勤する朝の送りの様子、直之と父が加賀藩の城に上がって、財務の仕事をしている職場の様子、帰ってきて仏壇に手を合わせる様子、家族で食事をする様子、そして成行の祝いに親戚一同が集まって食事をする様子などなど、羽織袴と刀という姿は違えども、昭和の社会となんら変わるところはないように描き出されていることからそれが分かる。

よい出来の映画だと思う。それに役者もよかった。主演の直之に堺雅人、妻役に仲間由紀恵、父役に中村雅俊、母役に松坂慶子など。

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