ザスラフスキー『カチンの森』(みすず書房、2010年)
古くはソルジェニーツインの『収容所群島』(1974年頃)から、極東の日本の一般的読者にもソ連の全体主義的人権弾圧の実態についての情報が届けられていたのに、私はそういうことには耳をふさいで現実を見ようとすることもなかった。当時の私はけっしてソ連を無邪気に信頼していたわけではない。たしかにあれこれの知人たちから、ソ連における社会主義経済そのものの大幅な遅滞による国民生活の貧困化やそれとセットになったような言論弾圧の実態は漏れ聞こえていた。だが、それはスターリンという独裁者が社会主義の大義を歪めてしまった結果であって…というように理解して、安堵を決め込んでいたように思う。
しかしすでにそれ以前からソ連および東欧に近接するフランスあたりには大量の政治亡命者が流れ着き、現実のソ連の実態を詳細に知らせ、そうした大量の情報によって、ソ連のありようは単なる一過性の逸脱などではなくて、レーニンがソ連を建国する以前の、そして直後の政治状況からしてすでに社会主義の大義などを放棄した政治的陰謀と言論弾圧と大量粛清・虐殺によって生まれた、いわば血塗られた体制であったことを詳らかに示したことで、私が学生だった頃に頂点に達していた通称ユーロコミュニズムの運動を完全に失墜させてしまったらしい。私は当時なぜあれほど大きな支持を得ていたユーロコミュニズムがあっという間にしぼんでしまったのかよくわからなかったのだが、そういう事だったのだということが今になってやっと分かる。亡命者などまったく来ないような極東の日本ではソルジェニーツィンの告発小説を読みさえしなければ、そうした実態に無視を決めることはいとも簡単だったのだが、ヨーロッパではそうはいかなかったのだ。
そういう状況にありながらもこの「カチンの森」事件が今日までその全貌がいまだに分かっていないのは、まったく生存者がいないようなおぞましい全員抹殺の事件であったこと、そしてゴルバチョフにいたるまで、それがソ連の国家的犯罪であるがゆえに、絶対にそれを示す文書を公開してはならないとする暗黙の了解がソ連のトップにあったからだということが、この本から分かる。
それだけではない。イギリスという、第二次大戦でナチスドイツと戦った国が、ソ連という大国を刺激したくないという日和見主義的な立場から一貫して情報を出すことを拒否してきたという信じられないような事態が真実の解明を遅らせることになったという。たしかにいかに当時のソ連の脅威がヨーロッパの西側諸国にとって大きなものだったのかということは、現在ではあまり分からないというか、感じられないかもしれない。だが、NATOが自らすすんでアメリカの加入を呼びかけたという事実は、アメリカという大国に頼らなければソ連と対抗できない、ソ連の侵入を阻止できないと、本気でNATO諸国が考えていたことを示している。それほどソ連の脅威はすごかったのだ。そういうふうに考えれば、イギリス政府の首脳がポーランドの指導階級の抹殺事件を闇に葬ることと自国の安全とを秤にかけて、事件を無視する態度をとったことも理解できるかもしれない。
だが、そこに私たちがなんらかの教訓を汲み出すとすれば、大国あるいは民主国家といえども、自国の利益のためには原理原則を投げ出すものだという、政治にはアタリマエのことかもしれない事実を承認するのではなく、あり得ることとして知っておかねばならないということだろう。たとえば先ごろの米中会談による米中の協調路線は、アメリカにつぐ経済大国となった中国とアメリカが新しい大国同士の利益を中心に世界を動かしていこうとする戦略が見え見えで、したがってそのためには人権の国を標榜するアメリカも、中国の人権弾圧さえもまったく問題にしないという態度を取ることになったことを示している。
恐ろしいことに第二次大戦中にソ連は日独伊三国同盟に加わる意図を持っていたらしい。現に、独ソ不可侵条約にはポーランド分割の秘密条約があったわけで、この著者によれば、ソ連とドイツの共謀が本来の姿であり、ドイツが不可侵条約を破ってソ連に侵入したことのほうが偶然の産物なのだと指摘している。ということは、日ソ不可侵条約を締結していた日本とのあいだにも秘密条約があって、満州とか中国北部の分割を共謀していたのではないだろうかという疑問がわく。三宅正樹『スターリン、ヒトラーと日ソ独伊連合構想』にはそのへんのことが書かれているのかもしれない。
映画にもなっている。
カチンの森――ポーランド指導階級の抹殺 | |
ヴィクトル・ザスラフスキー | |
みすず書房 |
古くはソルジェニーツインの『収容所群島』(1974年頃)から、極東の日本の一般的読者にもソ連の全体主義的人権弾圧の実態についての情報が届けられていたのに、私はそういうことには耳をふさいで現実を見ようとすることもなかった。当時の私はけっしてソ連を無邪気に信頼していたわけではない。たしかにあれこれの知人たちから、ソ連における社会主義経済そのものの大幅な遅滞による国民生活の貧困化やそれとセットになったような言論弾圧の実態は漏れ聞こえていた。だが、それはスターリンという独裁者が社会主義の大義を歪めてしまった結果であって…というように理解して、安堵を決め込んでいたように思う。
しかしすでにそれ以前からソ連および東欧に近接するフランスあたりには大量の政治亡命者が流れ着き、現実のソ連の実態を詳細に知らせ、そうした大量の情報によって、ソ連のありようは単なる一過性の逸脱などではなくて、レーニンがソ連を建国する以前の、そして直後の政治状況からしてすでに社会主義の大義などを放棄した政治的陰謀と言論弾圧と大量粛清・虐殺によって生まれた、いわば血塗られた体制であったことを詳らかに示したことで、私が学生だった頃に頂点に達していた通称ユーロコミュニズムの運動を完全に失墜させてしまったらしい。私は当時なぜあれほど大きな支持を得ていたユーロコミュニズムがあっという間にしぼんでしまったのかよくわからなかったのだが、そういう事だったのだということが今になってやっと分かる。亡命者などまったく来ないような極東の日本ではソルジェニーツィンの告発小説を読みさえしなければ、そうした実態に無視を決めることはいとも簡単だったのだが、ヨーロッパではそうはいかなかったのだ。
そういう状況にありながらもこの「カチンの森」事件が今日までその全貌がいまだに分かっていないのは、まったく生存者がいないようなおぞましい全員抹殺の事件であったこと、そしてゴルバチョフにいたるまで、それがソ連の国家的犯罪であるがゆえに、絶対にそれを示す文書を公開してはならないとする暗黙の了解がソ連のトップにあったからだということが、この本から分かる。
それだけではない。イギリスという、第二次大戦でナチスドイツと戦った国が、ソ連という大国を刺激したくないという日和見主義的な立場から一貫して情報を出すことを拒否してきたという信じられないような事態が真実の解明を遅らせることになったという。たしかにいかに当時のソ連の脅威がヨーロッパの西側諸国にとって大きなものだったのかということは、現在ではあまり分からないというか、感じられないかもしれない。だが、NATOが自らすすんでアメリカの加入を呼びかけたという事実は、アメリカという大国に頼らなければソ連と対抗できない、ソ連の侵入を阻止できないと、本気でNATO諸国が考えていたことを示している。それほどソ連の脅威はすごかったのだ。そういうふうに考えれば、イギリス政府の首脳がポーランドの指導階級の抹殺事件を闇に葬ることと自国の安全とを秤にかけて、事件を無視する態度をとったことも理解できるかもしれない。
だが、そこに私たちがなんらかの教訓を汲み出すとすれば、大国あるいは民主国家といえども、自国の利益のためには原理原則を投げ出すものだという、政治にはアタリマエのことかもしれない事実を承認するのではなく、あり得ることとして知っておかねばならないということだろう。たとえば先ごろの米中会談による米中の協調路線は、アメリカにつぐ経済大国となった中国とアメリカが新しい大国同士の利益を中心に世界を動かしていこうとする戦略が見え見えで、したがってそのためには人権の国を標榜するアメリカも、中国の人権弾圧さえもまったく問題にしないという態度を取ることになったことを示している。
恐ろしいことに第二次大戦中にソ連は日独伊三国同盟に加わる意図を持っていたらしい。現に、独ソ不可侵条約にはポーランド分割の秘密条約があったわけで、この著者によれば、ソ連とドイツの共謀が本来の姿であり、ドイツが不可侵条約を破ってソ連に侵入したことのほうが偶然の産物なのだと指摘している。ということは、日ソ不可侵条約を締結していた日本とのあいだにも秘密条約があって、満州とか中国北部の分割を共謀していたのではないだろうかという疑問がわく。三宅正樹『スターリン、ヒトラーと日ソ独伊連合構想』にはそのへんのことが書かれているのかもしれない。
映画にもなっている。
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