読書な日々

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「立花隆先生、かなりヘンですよ」

2008年02月09日 | 評論
谷田和一郎『立花隆先生、かなりヘンですよ』(洋泉社、2001年)

副題にあるように東大で立花隆が教鞭を取ったときの教え子による立花隆への批判本である。

著者によると、初期の「田中角栄研究」とか「日本共産党研究」あたりまでは、執筆のきっかけはのちの立花隆自身によると「いきがかり」上のものであったらしいけれども、その執筆手法は誠実できちんと事実関係をあたった上での論考となっているが、立花隆が科学に手を出すようになってからのものは、事実認識や科学理論に対する間違った知識やデータ分析のいい加減さをもとにした、まったくの初めに結論ありきのもので、質が低下しているだけでなく、一歩間違えばテロを合理化するようなものになっているという。

本来は西洋科学の分析主義的手法の限界についての反省から東洋的な全体の中の一部として物事を捉える手法を取り入れてきた、いわゆるニューサイエンスの影響を受けた立花隆が、人類の進化という彼にとっての絶対命令を導き出す手段として、インターネット、人工知能、脳科学、宇宙開発、サル学、遺伝子組み換え技術、脳死、オカルトなどへの関心を利用して、彼なりの人間像を描き出したが、それによると、人類の進化の手段であるあれこれの科学技術に乗れる人間と乗り遅れる人間の二極分化が進み、一方には優秀な人間とまったく旧時代のままの人間が出来上がるというようなことまで主張しているというのだ。

科学技術の進歩に乗り遅れた人間は社会に不必要ということになって、さらに臨死問題への関心に見られる神秘主義への傾斜などから、オウム真理教がそういった人間たちをアポしてもいいと主張したのと同じような発想になっているとまで、立花隆の議論の分析をしているところは、先ごろ読んだ元秘書の佐々木千賀子さんが、立花隆のオウム真理教にたいする距離のとり方は世間一般の批判とは違い好意的とも受け取られる発言もあったようなことを書いていたから、なるほどそういう思想的背景があったのだということが納得できたのだった。

インターネットの普及が人間を「情報空間内存在」にすると立花隆が言っているということについての第一章を読んでいる間は、まぁこの言葉は比喩のようなものであって、インターネットの発展が、現実にこの本が書かれた2000年前後からたったの数年たった現在においてもものすごい勢いで進行しているから、これからはインターネットなしには仕事ができないような時代になることは確実で、そういうことを言いたいのだろうから、そんなに目くじらを立てて批判することもないじゃないかと思っていたが、どうもそんなレベルのことではないらしいということがこの本を最後まで読んで分かったのだった。

この本の意義は立花隆の知の虚人化を引き起こした思想的原因がニューサイエンスへの傾斜にあったことを見事に示しているところにあるが、もちろんニューサイエンスそのものがいいとか悪いということではなくて、立花隆の場合はここから出発して、人類の二極分化だとか遺伝子組み換え技術にたいする無批判な礼賛とか、立花隆の発言が持つ社会的影響力から見て見過ごすことのできない反社会的ともいえるようなことになっているということを明らかにしたことにある。

立花隆も典型的なネットワーク型思考の人だと思うが、松岡正剛について書いたように、こうした人の陥りやすい罠のひとつが、さまざまな分野の大量のデータをインプットしなければならないところから生じる、間違った前提、間違った事実認識とか知識にもとづく議論の展開である。専門家が見るとわらけてしまうことが、やはりあちこちにあるようだ。実際には立花隆自身がそういうことをしてはいけない、議論は正しい事実認識や知識にもとづいてしなければならないと偉そうに言っているというから、またこれも滑稽の極みだ。

その上、意外と権威主義的なところがあって、たとえば大江健三郎をやたらと持ち上げるのもきっとノーベル賞作家ということからだろう。これは元秘書も書いていたが、立花隆が何かに惹かれたり敬愛の念を抱いたりするのは、普通はその人の作り出した作品などに感動した結果なのだが、立花隆の場合はぜんぜん違っているらしい。武満に関する本を出しているが、これも武満の音楽なんて一度も聴いたことがないんじゃないかと元秘書は書いている。大江健三郎を敬愛するのも、きっと彼の作品を読んで感動したからではなく、たんに東大の先輩であり、世界的な評価を得ており(って、これ自体眉唾ものだけど)、ノーベル賞作家だからということに過ぎないだろうということだ。

東大の学生(出版時には卒業していたので元東大生となっているが)「ごとき」にこてんぱんにやられて立花隆は反論したのだろうか?ニューサイエンスのどこが悪いねんくらいは言えても、さすがに相対性理論の知識の間違いとかその他多くの事実認識の間違い、知識の間違いについては反論のしようがないだろうね。

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