読書な日々

読書をはじめとする日々の雑感

Les Combustibles

2007年09月29日 | 現代フランス小説
Amelie Nothomb, Les Combustibles, Albin Michel, 1994, LP.no.13946
アメリー・ノトン『燃料』(アルバン・ミシェル、1994年)

Hygiene de l'assassin(1992)とSabotage amoureux(1993)に続く、アメリー・ノトンの第三作。小説ではなく、芝居仕立てになっている。登場人物は、文学を教えている大学教授、彼の助手、そして助手の彼女の三人。時は第二次世界大戦かなんかの戦時中で、所は教授の自宅。戒厳令下におかれた町には食べるものも燃料も欠乏し、寒さをしのぐために、蔵書を燃料代わりに燃やしていくというお話。

ペーパーバックスの裏の解説は次のように書かれている。

「街は戒厳令下にある。助手と学生のマリナが避難している教授のマンションでは、寒さをしのぐための唯一の燃料は、本だった。だれもが、孤島にどんな本を持っていくか?という質問に一度は答えたことがあるだろう。爆撃とスナイパーの狙撃による八方塞のなかで、「愛のかけっこ」の小説家は自分の登場人物たちにこれとは別の意味で意地の悪い質問をする。どんな本のどんなフレーズなら、それを燃やして体を温めることを止めてまでして残しておきたい?奇妙にも現在に共鳴するところのあるこの寓話のなかで、ユーモア、アイロニーそして絶望がせめぎあっている。」

かつてサルトルの発言で物議をかもしたことがある。戦争で飢えている人々がいるのに、文学がなんの役に立つのか?という議論は、ここでも健在である。寒さに震えているときに文学は燃料として以外になんの役に立つのか?でもここはちょっと違う。すごく寒くて凍え死にそうだけど、どんな本なら燃やさないで寒さを我慢していられるか?そんな本があるだろうか?

教授は過去をかなぐり捨てて、かつてすばらしいと言っていた本を燃やしてしまう。寒さには勝てない。マリナは助手を愛しているのに、身体を寄せ合えばそれだけで暖かくなると教授に身を寄せる。寒さには勝てない。そのあいだで一人正気を保とうと努力する助手。

私は春に本の処分をだいぶした。そこで分かったことは、これだけ本が溢れていると、本を読むということに激しい欲求を感じている人は少ないということだ。どこでも本が手に入る。でも読みたい本があるのかというと必ずしもそうではない。ただ読み手のなくなった本は、この小説のように燃料になるしかない、ただの紙切れだ。たぶん印刷されたけれど書店に並べられることもなく廃棄処分になってしまい燃やされる本は大量にあるだろう。大量に作られたコンビに弁当が売れ残ったら大量に廃棄されるのと同じことだ。

駅前に天牛書店があって、天牛書店は古本をいくつかの店舗でローテーションしながら回転させている。毎日店員さんは本を箱につめ、他の支店に運び、棚に並べるという作業をしている。きっとこんな本なんかこの世からなくなればいいのにと思っているに違いない。読まれなくなった本はタダの紙。しかし後世の人たちがまた注目するかもしれない。そのためには残しておく必要がある。

人間の知は物質の姿をとらなければ残らないことを肝に銘じよう。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする