読書な日々

読書をはじめとする日々の雑感

「ゼニの幸福論」

2007年09月04日 | 評論
青木雄二『ゼニの幸福論』(角川春樹事務所、1998年)

数年前にお亡くなりになった漫画家の青木雄二さんの人生論である。昨日読んだ中身のないかつ偽善的なエッセーなんかよりもよほど人のためになる一冊であろう。

一昨日読んだ伊坂幸太郎の「ラッシュライフ」に出てくる空き巣の黒澤は青木さんの人生論を参考にしているのではないかと思うほど、単純明快で、読むものにカタルシスを与えるくらいに救われるような気がするのは、訳の分からないこの時代にはっきりと善悪をつけてくれるところがあるからだろう。

曰く、「ゼニこそ幸福の源泉である!」「この際ハッキリといわしてもらうけどなぁ、ゼニのない人間とは不幸な人間なんですよ」と、本当にハッキリおっしゃる。人間というもの、愛だの理想だの生きがいだのといった観念で生きることはできない。まず金がなければ幸福にはなれない。もちろん金さえあれば幸福になれるわけではないが、まず大前提が金だというわけだ。つまり人間が生きるには必要最低限の金がいるということ。もちろん幸福になるにはそのレベルは高くなるから、生活保護を受けて幸福になれるなんて馬鹿なことはおっしゃらない。

曰く、矛盾するようだが、「ゼニがなくとも幸福になれる!」大金を得たものと、わずかの金しかもっていないものの幸福のあり方は違うとおっしゃる。もちろん青木さんは「ナニワの金融道」という連載漫画が大ヒットして大金を手にされたので、毎日何もしない(といっても時折講演に出かけられているが)幸せを謳歌しておられた。大金がないからといって幸福になれないわけではない。小金しかないなら、ないなりに、自分にとって本当に価値のあるものに金を使うことによって、最大限の幸福感を得ることは出来る。「待っていても幸福はやってこない。自分で奪い取れ!」けだし、名言である。

曰く、「幸福とは闘い取るもの!」幸福は待っていてもやってこない。奪い取れとは、社会的な意味での闘いということも青木さんはおっしゃっている。つまり国民の税金を吸い取っている者たちの好き勝手にさせていてはいけない、みんなは搾取されている!とここで、青木さんはマルクスの搾取理論を紹介される。

ちょっとこのあたりになると、青木さんの付け焼刃という印象がしないでもないが、たしかにわれわれは搾取されているのであり、おっしゃるとおりだ、貧乏人だからこそ闘わなければならないことは分かるが、どうも大金を手にして毎日何もしない自由を享受しておられる青木さんと自分を比較してしまって、いったい何がどう違うのか、青木さんのように自分も何もしないでいられるにはどうしたらいいのかと、若干途方にくれてしまうのである。

人間、誰一人として気兼ねするものがないとなると、本当に強い。こんなことを言ったら、仕事がなくなるんじゃないかなんて心配することが必要ないというのは、すばらしいことだ。そういう自由さが青木さんのエッセーにはある。そういていて、その自由闊達さがまた人々の共感を呼び、本は売れるわ、印税は入ってくるわで、ウハウアである。

とくに講演なんてのほどおいしい仕事はないとおっしゃっている。1時間も好き勝手なことを喋って、数万円から40万円も講演料がもらえる。もちろん有名人だけに与えられた特権と言っていい。

なんか生きるのばからしい。

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