読書な日々

読書をはじめとする日々の雑感

お見合いのような

2007年09月10日 | 日々の雑感
お見合いのような

昨日、娘がフィアンセを連れてきた。いわば私たち夫婦とフィアンセのお見合いのようなものである。話に聞けば、高校が同じだったが、同窓会で再会し、意気投合して、付き合いだし、結婚を決めたということらしい。まぁ娘が自分で決めたことだし、私たちとしてはどうこういう筋合いはない。

結納だとか、そんなことはするつもりもないので、二人で結婚を決めたということを報告に来て、相手を紹介してくれたらそれでいい。私たち愛し合ってます風に両親の前でべたべたされたらかなわんが、そういうこともなく、二人で話し合って式から住むところから自分たちで進めてくれるのは、けっこうなことだ。

考えてみれば、私自身も上さんと結婚するときに双方の親の承諾を得るというような意識はなく、たんに結婚を決めたことを報告するというような感覚だった。私の両親と上さんの両親はその後勝手に連絡を取って結納みたいなことを親たちだけでしたらしいが、私たちにはなんの相談もなかった。最近でも友人の娘さんなんかは結納をしたとかいうような話も聞いたが、娘の場合もするつもりはない。

男親にとって娘の結婚というものは、さだまさしの歌じゃないが「娘を奪っていく君を一発殴らせろ」風な、大事なものをもぎ取られるというような意識が一般的なのかなと、ときどき明石家サンマが娘のことをそんな風な言い方で表現しているのを見ると思っていたのだが、娘に言わせるとそんなことはないよということらしい。白無垢の花嫁衣裳に手をついて「お世話になりました」なんて涙ながらに言うなんて場面は、私たちの場合には考えられない。まぁそういうことをしたい親子はしたらいいでしょうけど。

そういう儀式的なことをしないからといって、感慨がないわけではない。人並みに娘の行く末については心配もあるし、よくぞここまで成長してくれたというような誇らしげな気持ちもある。しかし相手の職業だとか学歴だとかを聞いた自分にがっかりした気持ちが湧いたのには正直驚いた。お前はそんなことを気にしないと表向き自分に言い聞かせながら、やっぱりそんなことを気にしていたのかという、自分自身に対する驚きである。そんなことは幸せの条件でも何でもないと常日頃思っているようなふりをしていながら、本当はそんなことにこだわっていたのかという自分自身へのがっかり感でである。

私だって結婚したときにはまだ大学院生で、これから海のものとも山のものともどうなるか分からない状態だったのだ。上さんの両親にすれば、両親の地元のものをという考えがあったらしいから、ろくでもないのに引っかかったというような意識だったのかもしれない。

いずれにしいても、どんな男が来るのか、どんな話をしたらいいのか、あれこれ考えて心乱れる一日で、疲れた。

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