読書な日々

読書をはじめとする日々の雑感

「ラッシュライフ」

2007年09月02日 | 作家ア行
伊坂幸太郎『ラッシュライフ』(新潮社、2002年)

水車を動かす水の流れをたどっていくと水車を動かしている滝に行き着くというようなだまし絵をモチーフにしただまし絵小説とでも言っていいような作品である。じつによく考えられている。一種の頭の体操みたいなものか。でもそれだけでなく、感心するのは、人生とはなにかという主題が全編を貫いており、純文学といわれるようなジャンルの作品に引けをとらないくらいに、考えさせる作品でもあるということだ。ただ読んで面白かっただけのものではない。

二人一組の登場人物たちが複数出てくる。この世の中金で何でも手に入れられると考え、それを実行してきた戸田とそうやって買われた志奈子が新幹線で仙台に向かっている。その会話の中にはかつて戸田の画廊の社員だった佐々岡が独立しようとしたのを戸田が手をまわして画家たちに造反させ倒産させてしまったいきさつが出てくる。仙台駅に着く直前に駅で最初に出会った人間の一番大事なものを戸田が手に入れることが出来たら、志奈子は戸田の言いなりになるという賭けをさせられることになる。

空き巣をなりわいとする黒澤は自分の部屋に戻ってきたところに、学生時代の友人の佐々岡が入ってきて、まるで空き巣同士が鉢合わせしたような状態になる。事業に失敗して借金をつくり妻に合わせる顔がないと落ち込んでいる佐々岡に人生や仕事についての自分の美学を語り感心される黒澤。佐々岡は気持ちが楽になって、妻と離婚を決心して連絡する。黒澤はあるマンションの舟木という男の部屋に空き巣に入るがそこに舟木本人が戻ってきて逃げ出す。そこで浮浪者のような男に鉢合わせする。

学生の河原崎は殺人事件を解決に導いて一種の新興宗教の教祖のようになった「高橋」教の幹部である塚本に誘われて塚本のマンション(黒澤の部屋の隣)に行き、塚本が殺したらしい「高橋」さんの解体作業をスケッチする。ところが死体が「高橋」ではないことが分かりパニックに陥った河原崎は塚本を殺してしまう。バラバラの死体と塚本の死体を車に運んで(出掛けに黒澤がばったり出くわしてドアを押さえてやったのはこのときのこと)一日うろうろし、夜中に死体を車から運び出しているときに別の車に轢かれてしまい、持ち運び去られてしまう。

佐々岡の妻で心療クリニックをやっている精神科医の京子は不倫関係にあるJリーガーの青山とそれぞれの配偶者を殺して一緒になる相談をしている。夫の佐々岡からはうまい具合に離婚を承諾する連絡が入る。夜中に京子と青山が人を轢いてしまう。その死体をトランクに入れて捨てに行く途中で死体がバラバラになっており、青山のマンションまで着いたときにはトランクから人間が出てきたので京子はパニックになって逃げ出してしまう。じつは青山の妻が青山と共謀して逆に京子を殺そうとしてトランクに隠れていたのだった。バラバラ死体は塚本の死体を追ってきた河原崎が入れたのだった。

舟木によってリストラされ再就職先が決まらない豊田は毎日打ちひしがれ人生が終わったような意気消沈した毎日を送っている。駅前で拾った荷物預かりの鍵を開けると拳銃が出てきた。それは佐々岡の妻が使おうと思ってインターネットで手に入れていたものだった。郵便局に拳銃強盗に入るが、職員たちは逃げ出してしまう(これは黒澤の知り合いたちが先にその郵便局に強盗に入っていて職員になりすましていたのだ)。それにびっくりして金もとらずに逃げてきた豊田は駅まで拾ったみすぼらしい柴犬をつれてうろつき、公園で若者たちに襲われたときに拳銃で相手を撃ってしまう。駅でまた襲われ、たまたま近くにいた河原崎に助けられ、再び駅に戻ってきていたところ、戸田が現れ、一番大事なものはなにかと聞かれ、この犬だと言うと、職を世話してやるから代わりに犬を寄越せと言われるが、拒否する。

こうして作品の冒頭の戸田と志奈子が豊田と結びついて作品の奇妙な連鎖が閉じることになる。

こうした仕掛けのほうに関心がいって作品そのものの主題への注意力が散漫になるかといえば、必ずしもそうではない。リストラされ自分は本当にだめな人間なのかと執拗に問いかける豊田に汚い柴犬が生きる指針を与えるとか、借金だらけになった佐々岡に空き巣の黒澤が美学を開陳して、人生とはなにかを諭すところとか、多少紋切り型のところがないこともないが、くだらない純文学よりはよほど読み応えがある。

でもやっぱりエッシャー風の仕掛けのほうに注意がとられてしまうのは仕方ないか。

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