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安倍内閣崩壊

2007年09月13日 | 日々の雑感
安倍内閣崩壊

昨日の昼に青天の霹靂のごとくに発表された安倍晋三の首相辞任に国民の多くが驚き、今朝の新聞は無責任だ、幼稚だ、政治の状況がまったく分かっていないなどの批判の大合唱だった。たしかにその通り。だが私はそれ以上に安倍内閣の存在理由そのものに疑問を持っている。

日本の政治システムは総選挙によって国民の民意が反映された国会議員のなかから首相を選ぶことによって、首相の選択に民意が反映されるようになっている。行政のトップが民意を反映して政治を行うことが絶対要件であり、そのためにどういう選択の手法をとるのかは国によっていろいろである。アメリカは総選挙によって選挙人を選び、選挙人が大統領を選出するという二段階の選挙によるが、そうすることで僅差を作らない選出システムが選ばれ、大統領に絶対権力が与えられる。フランスでは大統領は直接的国民投票によって選出される(第1回投票で過半数を獲得した候補者がいない場合には、上位二人で第二回投票を行い、過半数を獲得した候補者が大統領として選ばれるシステムになっている)と同時に、日本のように国会議員のなかから首相が選出される。しかし国家元首ということで言えば大統領である。

大統領には任期があり、よほどのことがない限り任期を全うする。だが日本の首相は、大きな政局の変化、とくに一番大きいのが国会議員の選挙の結果などによって解散総選挙となることが多い。それは衆議院議員の任期の途中に首相が変わることは、首相の政策が民意を反映しない可能性があるからだ。

たとえばこの安倍内閣を見てみよう。彼を首相として選出するもとになった総選挙は小泉首相のもとでの選挙で、しかもあのときの争点は郵政民営化だった。つまり行政改革が争点になっていたのだから、同じ衆議院議員から選出された安倍内閣は行政改革については既定路線を進めることはできても、それ以外の総選挙で争われなかった問題についての法案は慎重に国会で議論していかなければならなかったはずである。ところが、前回の総選挙でまったく争点にならなかった教育基本法の改悪、憲法改定のための国民投票法などを強行採決強行採決の繰り返して、つまり数の力(それも人のふんどしで勝ち取った数)で押し切ってきたのだ。

国民はだれもそんな法律に信任の投票をした覚えはない。したがって、安倍内閣が小泉内閣が公約に掲げていなかった法律を通そうするなら、まず解散総選挙を行って、国民の信任を得てから行うべきだったのだ。つまり総選挙を行っていないということは安倍内閣は存在そのものが国民の信任を得ていないことを意味するし、夏に行われた参議院選挙で政権選択の選挙だと言い出したのだから、あの選挙で負けたということは、彼の内閣そのもの、そして彼が通してきた法律そのものが、不信任を受けたと考えるべきだ。

安倍首相の辞任表明を受けて自民党内は慌てているが、勝手にメディアを利用して総裁選を国民による信任選挙に偽装してもらいたくはない。総裁選なんかは一政党の党首選びであって首相の信任選挙ではない。森内閣のときのように密室選挙だと批判されたからといって、公器たるメディアを勝手に使わないでいただきたいものだ。

自民党の総裁なんか自民党の中で勝手に選んだらいいが、まず解散総選挙をやって、民意を反映した国会のもとで新しい首相を選出するのが、日本の政治システムを正しく機能させる道ではないかと思う。

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