仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

『平成万葉集』

2015年02月13日 | 日記
図書館で借りてきた『平成万葉集』(読売新聞社)から三題。

パソコンの受講用紙に記入する生日の欄に大正は無し
                        大西澄子(83)愛媛県

見てますか見えていますよきれいだね同じ月の下つながる心
                        永井あやこ(33歳)東京都

ふと思うあの頃にまたもどれたらそのあの頃が今なのかもね
                        濱田絵梨 (17)滋賀県

1つ目は、合理主義で切り捨てていく現代。1つの大きなものによってつながる心。
3つ目は、本当にそうだと思います。
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平成万葉集

2015年02月12日 | 日記
読売新聞(27.1.11)編集手帳に下記の紹介がありました。さっそく図書館に『平成万葉集』をリクエストしました。

 営む寿司(すし)店をたたんだ人の記事を本紙で読んだことがある。高校1年の娘を飲酒運転のバイクに奪われた父親である。酒を出す商売がもうたまらない、と◆6年前に本紙が編んだ『平成万葉集』に、息子を亡くした母親を詠んだ一首がある。〈海に戦死の兄を憂ふる母なりき永き歳月魚口にせず▽(有山すみ)◆酒を目にするのも耐えられぬ父。魚を見ても、息子の眠る海を思う母。胸にしみた。(以下省略)
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ぼっち席

2015年02月11日 | 日記
『産経新聞』(27.2.10)読者投稿欄に“違和感を覚える「ぼっち席」主婦 味村みどり 60”が掲載されていました。

大学の学生食堂で「ぼっち席」と呼ばれる士人用の席が増えている。工人で食べるのが寂しく、周囲の目を気にする学生に配慮しているそうだ。
 1月97一日付朝刊でそんな記事を読み、「寂しかったら、友達をつくればいいのに」と思った。最近の学生はそう考えないのだろうか。
 しかも、「ぼっち席」を作った大学によると、導入のきっかけは父母会の要望だという。学生から強い要望があったというのならまだしも、最近の大学生は親に頼らなければ、自分の意見を学校に伝えることもできないのだろうか。(以下省略)

新聞を開く前の当日の早朝、ガソリンスタンドへ行く折、『放送大学』(10日6時30分~)
「子どもと若者」(担当講師: 明石 要一 千葉敬愛短期大学学長・教授)を聴いていました。興味のある内容だったので、用事を終えても少し聞いていました。

今の子どもの何が問題か。記憶の残っている内容としては、下記の通りです。


「バレーボールができない」、サッカーやバスケットのように、アイコンタクトでボールが来ると分かっていてパスを受けるのはできるが、バレーボールのスパイクなどは、どこに来るかわからないボールに、体力と経験値のなさから対応できない。小学生の放課後の万歩計、30年前は26.000歩、現在は10.000歩などなど。

「ミーティングができない」。群れて遊び、自分たちで約束をつくって行動する体験がないので、自分たちだけでミーティングガできない

「肉食女草食男の出現」、生徒会長も各種発表会も、ほとんどが女子で男性がいない。等々。

小集団での遊びや、仲間うちのルールづくりなどを通じて人とつきあう力や意思決定力が育つ。自然に触れて『なぜ』という疑問を呼んで探求心や好奇心を育てる。そうした体験が不足しているとのことでした。

その結果としての「ぼっち席」です。
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人は四住期を経て解脱?

2015年02月10日 | 浄土真宗とは?
ウオーキング中、ふと「古代インドでは人生を「学生期」(がくしょうき)・「家住期」(かじゅうき)・「林住期」(りんじゅうき)・「遊行期」(ゆぎょうき)の4つに区切るという考え方は、仏教以前の考え方ではないか」という想いがわいてきました。

英に着いて調べると、やはり古代インドのバラモン教の思想で、人生の至高を生活と分離したところに求める考え方によっている文化のようです。

思考パターンの系統は煩悩を否定して菩提を得ることです。浄土真宗は、どろどろした生活苦の中に、如来の慈悲との触れ合いがあるという考え方です。これは記録にとどめていくべきだと思いアップしておきます。



 「マヌの法典」(岩波文庫)は人生を「学生期」「家住期」「林棲期」「遊行期」の四住期に分け、それぞれの住期において守るべき準則を詳細に規定している。
 
 初めの「学生期」は師についてベーダを学ぶ時期である。
 「入門の儀式を行いたる後、師は先づ第一に学生に身体の潔斎、作法、聖火の礼拝、及び朝夕の薄明時の勤行の諸規則を教うべし
(中略)
 学生期を終えた者は結婚して子をもうけ、仕事に励んで家に住む家住期に入る。
 「人生の四分の一の間を、師のもとに過ごしたる後、バラモンは結婚して、その生涯の第二の四分の一を家に住すべし」(4-1)
(中略)
 さて、子を育て終え、孫の顔を見る年齢に達したとき、「マヌの法典」は人に対して、家を出て森林に移り住む「林棲期」に移行せよと託宣する。
 「家住者、顔に皺より、毛髪灰色となり、その子に子息を見るに至らば、その時、彼は森林に赴くべし」(6-2)
 「耕作による全ての食物、及び彼のすべての財産を捨て、その妻を子に託し、或いはこれを伴いて森林に赴くべし」(6-3)
(中略)
 そして、法典は、森の民たる林棲期を経た者に、更に身にある物を捨て去り、無一物になりきる「遊行期」に移行することを促す。
 「されど、かくして人生の第三の部分を森林にて過ごしたる後は、世事に対するあらゆる執着を捨てて、その生涯の第四の部分を遊行に過ごすべし」(6-33)
 最早、定まった住まいすら振り捨てる時期に至るのである。
 「捨つることなく、捨てらるることなき孤独者に、解脱の成就ありと了知し、常にただ独り、成就を求めて、伴侶なく遊行すべし」(6-42)
 
【参考文献】「マヌの法典」田辺繁子訳 岩波文庫 昭和50年2月20日第11刷
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満年齢to享年齢

2015年02月09日 | セレモニー
一昨日(27.2.7)、築地本願寺和田掘廟所で営まれた九条武子さまを追悼する如月忌、130人の参拝で、前進座の方も演劇の告知のため参拝され、法話の席についておられました。

北畠宗務長が導師で法要は営まれます。丁度、和田堀への到着が同時刻で、宗務長は当直すると、その足で武子様の墓苑へ参拝らました。さくが学徳兼備の宗務長だと感じいりました。

私が職員に「宗務長が控室に着かれたらご挨拶に伺うので知らせてください」と頼んでいたのですが、墓前参拝のその足で、私の控室へ来られ恐縮しました。

6日に本願寺へ行った折、如月忌法要のしおりの武子様の年表の年齢表記が、死亡時だけ享年(数え)で、その他は満年齢表記だったので、どちらかに統一した方がいいと伝えました。

和田堀の如月忌法要のしおりを見ると、これが昔の数えで享年プラス1歳表記です。年号も数か所間違っていたので指摘しました。こうしたものは前年度踏襲で
処理してしまうので、よくあることです。

年表で満年齢、享年齢、どちらの表記がいいのかというと、日本では「年齢計算ニ関スル法律」の施行(1902年)後も、数え年での年齢計算が行われていたようです。その後、「年齢のとなえ方に関する法律」の施行(1950年)により、満年齢での計算が広く行われるようになったとあります。

公民(歴史上に名をなす人)の年齢を表記は、「年齢計算ニ関スル法律」(1902年)及び「年齢のとなえ方に関する法律」(1950年)での年齢計算方式を満年齢、それ以前の計算方法を数え年と呼び、区別し、その2つの法律の間の人は、あいまい表記が現実です。
(写真は武子様のお墓)
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