仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

後家さん

2015年02月25日 | 日記
実家(松戸市天真寺)の郷里は島根県で,島根県のお寺で4月8日に法要があるので出向することになっています。旧邑智郡浄円寺といいます。歴史には、「開基 智伝 正徳5年4月8日(西暦1715年)」とあります。丁度400周年ということです。

興味があって手元にある『読める年表』(自由国民社)の1715年を開きました。この本は、「○泥棒へ泥棒が入った」とか、それはそれは出来事がくわしく記されています。

一頁が細かい字で5段になっており、一番下の段に「言葉の意味」「この時代の特色」「事物の起源」などが書かれています。

さて1715年です。「事物の起源」に次のようにあります。

剣道の防具―直心陰流の長沼史郎左衛門国郷が、各人の個性に応じた稽古をするには定型伝授よりも試合稽古がいい、しかし負傷を防がねばならないということから面、籠手、竹刀を考案した。他流からは馬鹿にされたが、バタバタ派手に打ち合えるので入門者が殺到。吉宗が武芸を奨励したこともあって剣防具は当然のことになる。(正徳年間)

とある。また「言葉の意味」に「後家」が説明されています。私は「後家」は、未亡人以上に何か差別的な響きがあり、あまり使ったことがありませんでした。ところが次のようにあります。ついでに「三行半」も。

・「後家」-夫を亡くした女いうたけでは十分ではない。夫の債権債務を受け継ぎ、一家の主として責任を果たす立場の未亡人のこと。一家の主だから養子をとることも可能である。


・「三下り半」-男から女へ渡す離縁状のこと。離縁の理由は女にではなく当方(男)あること、女が誰と再婚しようとも文句をつけないことの二件を必ず書かなくてはならない。だから「三下り半」を離縁通知状と考えるのは大間違いである。子どもの養育、財産の処理(特に女の持参金)などの協議がまとまったことの確認書であり、女としては、これを持つことが再婚への公的な資格となる。必要な文章はだいたい三行半で書くことになっているので、無筆な男は棒を三本と半分書いて拇印を押せば有効となるしきたりがあった。(以上)

後家さんって、江戸幕府の制度の中で生まれたしっかりとした言葉なんだと納得。
コメント
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