仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

テロについて

2015年02月05日 | 現代の病理
連日、テロ関係についての論評が絶えません。今日(27.2.5)の読売新聞でも、論点スペシャルとして“「イスラム国」にどう対処するか”と3人の論者の意見が掲載されていました。

東大名誉教授の中村廣次郎氏が「イスラムの教えと違う」というテーマで書かれておりました。

その中に「イスラムは絶対的なものは神。人間の作るものは絶対化されない。イスラム国の振る舞いは、神を絶対なしているのではなく、自分たちの考えを絶対化し神格化している」とありました。

一週間くらい前に宗教業界新聞『中外日報』から、“テロについて宗教者としてどう思うか”(意趣)という質問をいただきました。


テロリズム(英: terrorism)とは、「何らかの政治的目的のために、暴力や暴力による脅威に訴える傾向や、その行為のこと」で、『広辞苑』には「暴力主義」とあります。その折のコメントは、当たり前に域を出ませんでした。

今思うことですが、テロは悪いに決まっているのですが、危惧されることがあります。テロを肯定する肯定するつもりはありませんが、1つの行為には、歴史的経緯や価値観があります。

この度のような「イスラム国」による邦人殺害といった残虐な行為が身近で起きると、「テロ」イコール絶対悪というパターンが刷り込まれ、まったく違った事件でも、「あれはテロだ」と名指しすることによって、思考停止してしまって
、その出来事を「絶対悪」として捌いてしまう意識が蔓延してしまうのではないかという危惧です。


以前(2013年11月30日)石破茂さんがブログに特定秘密保護法案に反対する市民のデモについて「単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質においてあまり変わらないように思われます」と批判し問題となったことがあります。


「テロ」という言葉を被せることによって、思考停止し捌いてしまうという悪弊です。
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