仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

今、田舎が新しい

2010年07月21日 | 都市開教
大学の講義の中で「現代の病理を考える」というコマがあった。現代の病理が生じる背景に、

「欲望を肯定する社会」「個人(孤独)主義化した社会」「知性依存型社会」「情報化社会」の4つを挙げてそれぞれ細かく分析した。

そしてその環境のなかで、現代は4つの症候群に分けて現代の病理の検討を加えた。
① 「安くて便利で快適」症候群。
② 生きがいの喪失症候群。
③ 快楽依存症候群
④ 透明な死症候群

それぞれの内容は別にして、講義ではそれぞれの病理に気づくことが重要であることを述べた。しかし一連の講義を終えて思うことは、これらの病理の解決には“田舎軸”の啓発と実践が有効であると思う。

田舎において五感をフルにつたった生活、人と人との密な関係、不便な環境の中でゆったりと人間の歩幅での生活、田舎には人間性を回復する生活スタイルがある。田舎のもっている田舎らしさを、どう展開していったらいいのか。寺院の過疎化対策の方向性がぼんやりとイメージできたことは、収穫の一つであると思う。

将来の宗門をデザインするという言葉でいえば、“サルナート60計画”とでも言える。これは勝手なネーミングだが、60の生活スタイルの具体的な提案です。そして60の1つ1つが各大学の社会心理学部等との提携によって実験的な取り組みがなされる。

それぞれに財的処置、人的支援、メッセージ、目指すべき理想が語られる。そして現代の病理と対極にある豊かさをアピールする。田舎のもっている可能性が新しい時代に到来しつつあるように思う。
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僧とは職業か、生き方か

2010年07月20日 | 都市開教
半年間の大学での都市開教の講義が終わった。90分14回、私の中にある問題点を整理できたことが収穫でした。14回出席してくれた学生にも感謝したい。

学生の感想から拾って見ます。
“発見ばかりの講義でした”
“新鮮な知見、情報を数多く提供していただき大変有意義でした”
“この授業を受けて、人々のニーズに対して様々な方法で関わることによって、仏教活動を行うべきであると感じました”
“やはり今、行動しなかればならないと強く感じました”
“この授業、エキサイテイングで、本当に面白かったです。ありがとうございました”

毎回、感想や思索をかいてもらうのですが、収益事業について語ったときは“先生にとって僧侶は職業ですか、生き方ですか”というものあった。

みんなボヤーっと聞いているようで、熱いものを持って学んでいると思った。いま京都から東京への帰りの新幹線の中で、これを書いているが、毎週、朝と昼、二回の昼寝タイム(新幹線)があるのもよかった。今日も4時過ぎに起きて、ウオーキングしてからの京都なので、気兼ねなく寝ることができた。

さて講義でまとめた情報を本にするか、どうするか。思案の岐路に立っています。
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ピンチがチャンス

2010年07月19日 | 都市開教
ピンチがチャンス、どこかで聞いた言葉だが、民主党の敗退後、「小沢一郎と会いたい」とテレビ報道で語っていた菅総理を見て思った。追い風に乗って「少し休んでいてほしい」と言ったばかりなのに。

もう少し大局を見て、その時の言葉を選びなさいと政治素人の私でも言いたくなる。どの道でもピンチでどう立ち回りができるかが、その人の実力というものです。その意味では今が民主党のスタッフの実力がためされる時です。

25年前に布教所を開設したとき、3つの財産があった。仕事がない、お金がない、門信徒がいない。仕事がないので時間が有り余っていた。その時間でチラシを配ったり、情報センターの電話相談や他の活動に従事できた。お金がないので、口コミで宣伝してもらったり、チラシ配りを手伝ってもらった。門信徒がいないので、ひとりひとりのつながりを大切にできたと思う。ピンチがチャンスと思って、若さにまかせて走っていたように思う。

逆に追い風や時のウエーブに溺れるということがある。今回の民主党などはその事例だろう。追い風に慢心して墓穴を掘る。これは民主党だけのことではない。

追い風の時こそ慎重に道を選び、ピンチの時には思い切った改革をする。これは人の道、商売の常道です。集団になるとこの簡単な常道が見えにくくなる傾向があります。
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人生やり直し道場

2010年07月18日 | 都市開教
柏市には国道が2本通っている。首都圏をぐるりと取り巻く16号と、東京から水戸へと走る6号線です。その6号線と16号線が交わる交差点近くに【人生やり直し道場】という看板を掲げた建築物がある。

今日、その横を通るとシロアムキリスト教会という看板が設置されていた。迫力のある看板だと思っていたら、その通り。主任牧師が「イレズミ牧師のどん底からの出発法」(講談社)「誰だって人生をやり直せる」(飛鳥新社)、「刺青クリスチャン親分はイエス様」(早稲田出版、共著)などで宗教業界では有名な鈴木啓之(すずき ひろゆき)さんで、人生やり直し道場理事長も務めておられる。2008年9月 会堂を船橋市東船橋より千葉県柏市へと移転し、2009年3月 特定非営利活動(NPO)法人「人生やり直し道場」を設立したとホームページにある。

お寺の弱い部分は、物理的に援助する機関や施設との関連が希薄で、教えや心の問題だけの部分しか関われないという点です。

これからの寺院の形態としてはNPOや福祉法人とリンクして実務的な部分まで関わっていける活動だろう。“人生やり直し道場”の看板を見て、そう名乗りきれないわがお寺の未熟さを思った。
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思考停止という病理

2010年07月17日 | 生命倫理
早朝のウオーキング、数か月ぶりに朝焼けと日の出を見た。日の出が遅くなってきたことを実感した。ここ柏での丘の上に昇る日の出は4時35分くらいだろうか。

深夜便「明日への言葉」集団自決 連鎖の背景という題で、ノンフィクション作家・画家 下嶋哲朗さんの対談であった。世界に例を見ない集団自決、明治から終戦までの一貫した国に命をささげるという教育、それと鬼畜米という憎しみを煽る教育が集団自決という悲惨を生んだとのこと。

集団自決は、沖縄だけではなく、グアム、サイパン、また旧満州でも多数起こっている。それがいまだ調査されていないという事実を訴えておられた。

対談で印象的だったのは、当時、運動会やその他の学校行事で常に『もも太郎』の歌が流れていた。もも太郎の中に出てくる鬼が鬼畜米で、鬼を追撃するという思想が刷り込まれていった。そして鬼畜米が上陸してきた。こんどは鬼畜米に抹殺されると集団自決におよんだ。

昭和29年生まれの私には、集団自決とのつながりはない。だが一点だけ自決についての接点がある。
故東條英機は、A級戦犯七人のうちの一人として、巣鴨プリズンにおいて昭和二十三年十二月二十三日に処刑されている。
 昭和二十九年、戦犯の遺族によって「白菊会」が結成されます。しかし、同じ戦犯の遺族でも、命令した側と命令された側という意識が根底にあり、その「白菊会」でも、A級戦犯の遺族たちは肩身の狭い思いをされたようです。
 そんなこともあってか、A級戦犯の遺族だけで「七光会」をつくり、交友が持たれます。それがいつの日からか毎月二十三日(東条英機の命日)に、用賀の東條邸に集まって茶話会がもたれるようになりました。
 昭和五十五年十二月、築地本願寺で故東条英機の三十三回忌法要が営まれました。そのご法事が契機となって、毎月二十三日に用賀のお宅での、月参りが始まりました。同五十七年五月二十九日に勝子夫人が亡くなられるまでの一年半、「西原さんに」とのご要望もあって、わたしが専任で、ご仏事と茶話会にお参りをさせていただきました。

その茶話会で東条英機がその用賀の邸宅で銃による自決を遂げようとしたとこのことを伺ったことがあります。「アメリカの憲兵に踏み込まれた時、英機は常に部下に語ってきたことを実行しようとしただけです」とのことでした。“生きて恥をさらさず自決せよ”というものです。

教育というものは、状況によって思考停止をさせてしまう危うい面があります。それは人を物として使おうとするに国にとってはこの上もないことです。

この“思考停止”は東条英機の上でも起こったし、集団自決の場面でも起こったのだと思います。戦争は悪であるが、それ以上に勝ち負けだけが唯一絶対の価値観であるという思想の濁りの方が罪は深い。そう思います。
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