仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

貴乃花が辞表、良くやった

2010年07月05日 | 日記
あさウオーキングをしながら相撲界の騒動で“貴乃花が辞表を出してでも琴光喜を守ってやれ”と強く思っていた。帰ってきて朝刊を見ると、貴乃花が辞表を出したとあったので安どした。

自己責任というものがある。個人主義化でその責任は厳罰化の傾向にある。どうみてもこの度の賭場騒動は相撲界の体質です。協会の責任を問うことなく、逆に協会を守るために個人に厳罰を処す。あるべき姿としては、理事全員が辞表を出して「もう一度、琴光喜にチャンスを与えてほしい」と願うべきではないか。そんな思いがあって、ウオーキング中の貴乃花を辞表をという思いになったのでした。

だれも守ってくれる人がいなかったという事実はさびしい。その一点だけでも貴乃花の辞表には意味がある。ひとりの不幸を社会の全体が担うという村社会の良さが喪失しつつありさびしい思いを持つ。

今年の正月の「公設派遣村」で再就職のために二万円の支給を受けた人が、その中から缶ビールを買って飲んだといってテレビで非難される出来事がありました。そのことについて「年越し派遣村」で村長を務めた湯浅誠さんが、お東の同朋新聞(7月号)の対談で次のように言っていた。

 こうした非難をする人は、自分が周囲からきちんと認められていないと思うんですね。日本人の、特に男性は褒めることも褒められることも下手でしょう。でも、人から承認してもらいたいという欲求は誰にでもある。そこで、人から認められたことのない人は、他人を押さえつけることで自分を承認しようとするんですね。「俺はもっと辛いことに耐えて頑張ってきた。お前なんか怠け者じゃないか」と人を非難することで自分を支えようとする。逆に言うと、その人がちゃんとありのままの自分を肯定されていれば、そんな欲求は起こってこないはずです。(以上)
 
テレビのワイドショーは、人や団体を非難するオンパレードのようです。仰る通り“「俺はもっと辛いことに耐えて頑張ってきた。お前なんか怠け者じゃないか」と人を非難することで自分を支え”としている人ばかりのように思われます。
コメント
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