仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

思考停止という病理

2010年07月17日 | 生命倫理
早朝のウオーキング、数か月ぶりに朝焼けと日の出を見た。日の出が遅くなってきたことを実感した。ここ柏での丘の上に昇る日の出は4時35分くらいだろうか。

深夜便「明日への言葉」集団自決 連鎖の背景という題で、ノンフィクション作家・画家 下嶋哲朗さんの対談であった。世界に例を見ない集団自決、明治から終戦までの一貫した国に命をささげるという教育、それと鬼畜米という憎しみを煽る教育が集団自決という悲惨を生んだとのこと。

集団自決は、沖縄だけではなく、グアム、サイパン、また旧満州でも多数起こっている。それがいまだ調査されていないという事実を訴えておられた。

対談で印象的だったのは、当時、運動会やその他の学校行事で常に『もも太郎』の歌が流れていた。もも太郎の中に出てくる鬼が鬼畜米で、鬼を追撃するという思想が刷り込まれていった。そして鬼畜米が上陸してきた。こんどは鬼畜米に抹殺されると集団自決におよんだ。

昭和29年生まれの私には、集団自決とのつながりはない。だが一点だけ自決についての接点がある。
故東條英機は、A級戦犯七人のうちの一人として、巣鴨プリズンにおいて昭和二十三年十二月二十三日に処刑されている。
 昭和二十九年、戦犯の遺族によって「白菊会」が結成されます。しかし、同じ戦犯の遺族でも、命令した側と命令された側という意識が根底にあり、その「白菊会」でも、A級戦犯の遺族たちは肩身の狭い思いをされたようです。
 そんなこともあってか、A級戦犯の遺族だけで「七光会」をつくり、交友が持たれます。それがいつの日からか毎月二十三日(東条英機の命日)に、用賀の東條邸に集まって茶話会がもたれるようになりました。
 昭和五十五年十二月、築地本願寺で故東条英機の三十三回忌法要が営まれました。そのご法事が契機となって、毎月二十三日に用賀のお宅での、月参りが始まりました。同五十七年五月二十九日に勝子夫人が亡くなられるまでの一年半、「西原さんに」とのご要望もあって、わたしが専任で、ご仏事と茶話会にお参りをさせていただきました。

その茶話会で東条英機がその用賀の邸宅で銃による自決を遂げようとしたとこのことを伺ったことがあります。「アメリカの憲兵に踏み込まれた時、英機は常に部下に語ってきたことを実行しようとしただけです」とのことでした。“生きて恥をさらさず自決せよ”というものです。

教育というものは、状況によって思考停止をさせてしまう危うい面があります。それは人を物として使おうとするに国にとってはこの上もないことです。

この“思考停止”は東条英機の上でも起こったし、集団自決の場面でも起こったのだと思います。戦争は悪であるが、それ以上に勝ち負けだけが唯一絶対の価値観であるという思想の濁りの方が罪は深い。そう思います。
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