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仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

大きな物語の喪失

2009年06月20日 | 新宗教に思う
現代は大きな物語を喪失している時代だという。良くも悪くも明治天皇という物語をあたえられ、高度成長という時代を生き、個性の時代という物語をみんなが共有しようとした。

時代の物語と並走するように、新宗教も物語を提供した。2つ示そう。

それぞれの宗教が、物語を紡いでる。

天理教(創立 天保9・1838年)は創始者を中山みき(教祖)という。天理教の物語はこうだ。天理教では、あなたと私の本来の姿を説き、その姿に戻る方法を説いている。本来の姿とは、親神という共通の親をいただく兄弟です。兄弟仲良く助け合ってくらすのが人生の目的です。この本来の姿で暮らす生活を、「陽気ぐらし」といい、親神は、あなたと私がこの本来の姿で暮らせるよう日々お働き(守護-しゅご)くださっている。この本来の姿から私たちを遠ざけてしまうのが私たちの自己中心的な心づかいであり、この心づかいが、本来の姿を見えなくし、守護にも気付かなくしており、この心づかいが実は人生を暗いものにしている原因である。

本来の姿に戻るためには、人の努力と親神の力が必要である。そのことを教えたんが教祖である。中山みきは、ある日、祈祷をしていると、突如として神懸り状態(霊がみきの体に降りた)となり、祈祷師が「あなたは誰か」と聞くと、みきに降りた霊は「われは元の神、親の神だ」と答えた。この神は「みきを神の社(やしろ)としてもらいうけたい。そうすれば三千世界をすくいたもう。断れば中山家をことごとく滅ぼすぞ」といった主旨のことをのたまった。しかたなくみきを神の社として差し出すことを了承した。この日以降、みきは自分の体に宿った「親神様(正式名称・天理王命=てんりおうのみこと)」が自分の口や手を通じて伝える真理を広く人民に流布せんと宗教活動にはいる。神託は、みきの口からだけでなく、「おふでさき」と呼ばれる自動書記(自分の意思にかかわらず勝手に手が動いて文字を書くこと)でも行なわれた。(以上)


隣接市である野田市に霊波の光(創立 昭和32年9月)という宗教団体がある。霊波の光の物語はこうだ。

「宇宙神」(大自然大神,大神様,大霊とも)の「宇宙の法則」の中で守られて暮らすのが人間の本来の姿だが,人は先祖からあるいは生きながら集積してしまう因縁により,「法則」から離れているために様々な問題・不幸が起こるとする。神から離れてしまった人間を是正し,神と人間をつなぐための神の使者が,宇宙神の分神である救世主「御守護神様」である波瀬善雄である。具体的には,「御つながり」(入信)により神とのつながりは回復され,「御神体御札」により御守護神様・善雄を介して,各信者に宇宙神のエネルギーである「霊波」が注がれるとする。その守護の中で人間は幸福に生きることができ,神の目的である人類救済・世界平和の実現に向かう。(以上)

最高の宗教物語は、わたしに生きる方向をあたえ、仏の至高の精神の領域を、わたしの経験知に教えさ諭すとい機能を持っている。残念ながら上記の2宗は、共に、暗い不幸な人生を否定し優劣で人間を推し量るというはん中を出ていない。

しかしその時代の人に物語をあたえ、人生の方向を示すという役割は果たしていたと思う。現代社会のさまざまな病理は、ひとり一人が物語をもち得ていないことに起因すると言ってもいいだろう。
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