冬の未明のウオーキング、楽しみの一つに公園の噴水型水飲み場の水を飲むことがあります。冷たければ冷たいほど、水を飲んで食道を通過していくときに、体の温もりを感じ生きていることを実感します。今日も一時間歩いて、水場で水を飲みました。
水を飲んだ後、「生きている」ということを実感しました。その時に思ったことですが、以前このブログで紹介したノーム・チェムスキー、
「二〇世紀における科学の三大発見として、しばしば(量子力学に代表される)[原子]と(DNAの二重螺旋構造の発見を端緒とする)「遺伝子」と並んで「心・脳」の研究がが挙げられるが、人間の心・脳の科学としての「認知科学」誕生に際してチョムスキーが行なった貢献は決定的であり」
そのチェムスキーは、「言語とは意識そのものである」ということを言った人です。まさに私は水を飲んで「生きている」という言葉で、生きていることを実感したのです。私たちは「南無阿弥陀仏」と阿弥陀仏を実感していくのです。
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